68.台湾の空港めぐり(その23)鹿港

鹿港という街を聞いたこともない(そんな人はこのページを見ない)人のためにおさらい。

Wikipediaから引用
歴史
    鹿港は台湾西岸の中間に位置し、清の統治時代には天然の良港として商業の中心地として発展した。鹿港の名が文献上に現れるのは1784年である。この年鹿港と福建省蚶江の間で航路が開かれ鹿港の黄金時代が始まった。1785年から1845年にかけてが鹿港の全盛期であり、人口は約10万と当時の台湾において第二の都市となっていた。
しかし時代が経つにつれ、港湾に河川の堆積物が堆積し、また日本統治時代に彰化平原の物産の輸送に主眼を置いたため縦貫線は彰化駅、員林駅を経由することとなり、鉄道輸送網から外れた鹿港の経済的繁栄は終止符を打つ。
観光
    鹿港老街・鹿港龍山寺・鹿港天后宮・台湾玻璃館・媽祖文物館
鹿港民俗文物館・鹿港城隍廟・興安宮・文武廟・鹿港地藏王廟・鹿港三山国王廟


本題
鹿港には日本軍の飛行場が街と海の間にありました。
「舊」鹿港飛行場平面圖

飛行場位置圖

注意深い人は「舊」鹿港飛行場という表現に気がついたでしょうか。
「旧」があれば当然「新」もあります。どちらも現在はなくなっています。
新飛行場の位置もわかりましたが、ここでとめておきましょう。



さて 鹿港は古い港町ということは名前からもわかります。でも今は海からすこし離れています。

現在の川道は直線的ですが、飛行場位置図には街の南側を曲がりくねって流れる川があります。
飛行場の西側のタンボはきれいに区画整理されており、近代に完成したものと思われます。
昔の海岸線はどこにあったのでしょうか?       苦闘しました。
日本語のHPにはそのような情報は絶無(現存する遺構の説明まで)
そんな中、台湾の古跡・古道などを踏査して写真で紹介するHPに出くわしました。

これで一目瞭然。1785年の海岸線は町の目の前だったが、1851年には数100mも後退し
1926年(昭和元年)にはほぼ現在の位置まで離れてしまったのです。
この50年間でなぜこんなに後退してしまったのか、日本統治時代の開発が原因ではないです。
上記の年代と統治期間とを並べると
     
ここからは推測
鹿港の没落と堺の没落をつい比べてしまいます。
堺は秀吉時代は貿易の中心であり、商人の経済的実力は政治に影響するほどでした。
それが歴史の表から消えるほど衰退するのは、土砂堆積による港湾機能の喪失によるものです。
それまで問題がなかったのに激しい堆積が始まるには川の付け替えという人為的理由がありました。
それに比べて鹿港付近の土砂堆積は港だけではないようです。もっと広範で長期間の堆積があったようで
単なる川道の付け替えとか自然災害によるものとは規模が違います。

真っ先に思いつくのは日本統治のころの農業開発(サトウキビ・米・森林伐採など)
ですが、台湾西部の農業開発は日本統治時代のもの、という思い込みがあるのかも知れません。
もっと以前から開発は進んでいたのでは?
鹿港の発展とズレて海退が大きくなっているのは、周辺の農業開発によるものと考えるのが妥当でしょう。

もともとから土砂堆積が激しいなら、そんな場所に港は造らないでしょう。
鹿港が福建省との交易で豊かだった頃、一体何の貿易を行っていたのか資料が見当たりませんが
ある豊かな貿易商は塩の交易をしていたとあります。広い塩田があったということです。
この場合は安定した海岸線が前提なので、堆積の原因ではありません。
どうも迷い道に入り込んでしまったようです。
いつか解決したいもの。
長くなりそうなので次回緊急特番!


素晴らしいHPの作者に敬意を表して。「Tony的自然人文旅記

鹿港参考資料
鹿港天后宮管理委員会
彰化県政府旅遊資訊網


今回は飛行場とはまったく関係ない話になっちゃいました。(最初からその積もりだろ)


おまけ
台湾総督府資料館に日本統治下の鹿港出身の大商人・政治家であった「辜顕栄」が明石元二郎総督に出した申請書が公開されています。
    
念のためこの人物を調べてみると
Wikipedia  辜顕栄 石炭・塩・アヘン・煙草・砂糖などで巨利
             鹿港では彼の邸宅が今も維持され公開されています。
    家族
    顕栄の子である辜振甫(実業家・海峡交流基金会理事長を歴任・故人)と辜寛敏(存命)は
    実業家として成功するとともに、総統府資政など公的役職を歴任した。
    辜振甫は台中に農地6000甲、塩田350甲などの膨大な遺産を相続した。
    寛敏の子にあたるリチャード・クーは、野村総合研究所研究創発センター主席研究員・チーフエコノミスト。
意外な人物と繋がっていました。顕栄は泉州人というけれど、客家ではないかと僕は疑っています。


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