54.台湾の空港めぐり(その9)金門

金門と馬祖(次回紹介)は台湾フリークでなければ知らない場所だし
ガイドブックにはほとんど載ることがありません。(台湾本島から遠いです)
なぜそんな場所を紹介するか?
金門には有名なミヤゲ「金門包丁」があるのです。(また食い物か)
実はその包丁の元になった戦争とそれに深く関わった日本人のことを知りたくないですか?

まずは、位置関係のおさらいです。

金門は中国本土(廈門アモイ)から目と鼻の先(見えています)


アモイに近い大金門・小金門とその近くの島々だけでなく少し離れた鳥土丘も台湾領なのです。
鳥土丘は金門県ではなく(草冠に甫)田県だそうですが。
アモイは中国なので簡体字で表示され、金門は台湾なので正字で表示されています。


右側が大金門島、その左が小金門島(そのままやんか)、さらに左に並ぶ小島です。
これだけ大陸と近いとお互いに大砲を撃てば届きます。


大金門には空港があるのですがその名前がハッキリしないのです。
   Googleでは 金門航空站・金門空港
   政府地図は 金門航空站・尚義機場
台湾では空港と呼ばないのですが、台湾本島の空港の案内板では「金門機場」と書いてあったような....


Googleでは滑走路南端に航空站の文字が見えますが、北端が正解です。


南端には退避壕が4ヶ所見えますが戦闘機は確認できませんでした。


誘導路に双発ジェットが1機、ターミナルには合計3機、格納庫前には軍用が2機。


小金門には空港はないのですが、政府地図には飛行機マークと東崗区昇機場とありました。
検索すると「東崗昇直機場」が正しいことがわかりました。(政府地図が間違ってどうする?)


間違い地図

ヘリポートでした。

検索したHP金門部落で見つけました

金門包丁
検索してみてください。多分Wikipediaが一番に並ぶはず。(金門砲戦はその次)
第2次大戦の終わりごろから、中国国内の国共内戦で負けた国民党政府は台湾に逃げ込み(1949年)
それを追って共産党政府は対岸のアモイまで押し寄せてきたのです。
ほんの数kmの海を挟んで大砲を撃ちあい(実は共産軍は金門に上陸しています)
最後に共産軍はあきらめたのです。これが1958年のこと。僕が子供のころニュースで見ました。
包丁と戦争がどう関係するかって?
金門に残された砲弾の破片・不発弾が山ほど(なにしろ47万発も打ち込まれたらしい)なので
これを利用して包丁を作った。(さすが台湾人、沖縄ではそうしなかった)
検索ではいろんな画像も表示されているはず。ちょっと紹介すると
         
右下の土産店の「台湾特産金門菜丁」簡体字でわかるようにこの店はアモイにあります。
ご注意:いくらミヤゲでもナイフ・包丁は銃砲刀剣類にあたるので日本への持込には問題が出るかもしれません。

金門戦争に関わった日本人
歴史に詳しいかたでも根本博についてはご存じないと思います。(軍事フリークは別)
2010年に出版された『この命、義に捧ぐ 台湾を救った陸軍中将根本博の奇跡』という本を知りませんか?
新聞書評に出たかもしれません。一読をお勧めします。
それはともあれ、大戦最後の北支方面軍司令官だった根本中将は多数の居留民の脱出に尽力し
復員後に国民党の依頼に応じて台湾軍の軍事顧問として金門戦争に参加しました。
居留民脱出に国民党の蒋介石の助けがあり、その恩義に報いるためです。
Wikipediaには根本の紹介があるが、その中に「元上海の貿易商であった明石元長の仲介で
通訳の吉村是二とともに極秘裡に台湾へ渡り」とあります。
この明石元長とは台湾総督だった(大正中頃)明石元二郎の長男のことです。
明石元二郎は台南の嘉南大土州の建設を決めた総督なので、息子が仲介したというのもうなづけます。

台北駐日経済文化代表処 2009/10/27発
古寧頭戦役60周年に日本の軍事顧問団関係者の家族らが台湾(金門)を訪問
 今年10月25日は、金門島の古寧頭一帯に夜襲をかけた中国共産党軍を国民党軍が迎撃し、大勝利を収めた古寧頭戦役から60年目の記念日である。これに先立つ10月23日、同戦役の国民党軍の作戦に協力した日本の軍事顧問団関係者の一人、吉村虎二氏のご子息である吉村勝行氏、そのほか、明石元二郎・第7代台湾総督の孫にあたる明石元紹氏、伝記作家の門田隆将氏、集英社の高田功・編集長らが金門島を訪れ、国防部常務次長の黄奕炳・中将、同総政戦局副局長の王明我・少将ら国防部関係者の歓迎を受けた。

代表処の文章にはありませんが、他のネット上のニュースでは
   式典において、報道陣のいるなか馬総統はこの2人の日本人に歩みより
   日本語で「ようこそ台湾へ」と語りかけ握手を求めました。
金門戦争で日本人がいっしょに戦ったことを台湾政府として認めた証です。(公式文書ではないが)
日本政府は国会で否定も肯定もせずムニャムニャ言った。
このあたりは、日台双方で暗黙の合意があったとみなせます。


『この命、義に捧ぐ』が手に入らない方はこちらを読んでみて下さい。 東アジア黙示録
                             右寄りのHPですが、本の紹介はそれなりに


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