46.台湾を愛した日本人

2011年5月8日の新聞に八田與一記念園区が完成し馬総統も出席したというニュースがありました。
5月8日は八田與一の命日にあたります。

ニュースでは八田與一の簡単な紹介と、馬総統が出席したこと、総統が自身を親日派だと言った点を伝えていますが
與一についてはるかに詳しい説明を台北ナビで読むことができます。
 
     台北ナビで紹介されている八田與一の銅像です。

ニュースではまったく伝わっていませんが
   八田與一の命日には彼が建設した烏山頭水庫を望む墓の前で毎年追悼式があります。
              (追悼式は台湾の方々が行っている)
   台湾が日本の領土であった時に建てられた銅像はすべて撤去されたが、唯一残ったのが八田與一のものです。
   銅像は與一の死後すぐに建てられたのですが、国民党政権による日本人銅像の破壊を避けて隠されていた時期もありました。

八田與一の伝記は「台湾を愛した日本人 ― 嘉南大エ川の父八田与一の生涯」があります。
この本は日本土木学会賞を受けたくらいですから、大半は土木に関する彼の業績に割かれていますが
なぜ銅像が今もそこにあり台湾の人々から敬愛されているか、その理由がわかります。
與一は戦争末期にフィリピンへの船が撃沈されて亡くなり、妻外代樹はその後を追って自殺したのです。
2枚目の写真に見える墓石には與一と外代樹の名が並んでいるのは台湾の人々の思いからです。

土木学会賞を受けたときの出版社「青葉図書」は今はなくなり「創風社出版」から改訂版が発行されています。

ついでながら、塀東(高雄の東)には鳥居信平の銅像が近年に建てられました。(彼も土木技術者です)


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