41.黒道白道

数年前にネットで探しもの(屏東の林家を調べていた)をしていて、「台湾戦国誌」というタイトルのページを見つけました。新新聞という政治週刊誌の連載コラムなんですが。その副題に
  台湾戦国誌調査探訪系列之十五:屏東県
  黒金政治譲屏東的「黒珍珠」不再閃耀
なんかオドロオドロしてそうで、ともかくチラッと斜め読みして印刷したまま積んどく状態でした。屏東ではヤクザが多いというのは駐在の日本人だけでなく高雄の土建屋さんからも聞いてましたし、実際にこのページに出てくる固有名詞と仕事の関係もあり、納得したものです。
それがふとしたきっかけ(掲示板で屏東黒金政治の話題がでた)で調べてみる気になったのが、今回の内容です。前置が長くなりましたが、では開演〜〜〜〜ん。

出発点の新新聞の内容はこうです。
  屏東は人は純朴だが産業ではめぼしい大企業はなく、唯一、呉開南の率いる鼎台集団である。
  県長伍澤元・県議長鄭太吉・屏東市長黄清漢・ほか7郷鎮長が逮捕された事件で呉開南も起訴
  されている。この事件で屏東は「黒金政治の郷」と呼ばれることになった。

鼎台集団とは一時インドネシアでの仕事のつきあいがあり、指名手配されたため決裁ができず困ったことがあったので、ああこれが原因だとわかったのです。当時は単なる贈収賄だと思っていたのですが。
上記の新新聞を読むかぎりでは黒金政治がどういうものかよくわかりません。張派対林派の国民党内派閥抗争と思い込んでいたのですが、そうでもなかったんですね。
掲示板の話から「県長伍澤元・県議長鄭太吉」のことを調べてみると、真っ先に出てくるのが「鍾源峰刺殺事件」です。この事件のため鄭太吉が逮捕されたのです。いきさつはこうです。
屏東県議会議長鄭太吉による賭場経営者刺殺事件
http://ashaw.org/2004/12/post_5.html
1994年12月13日夜に事件発生。潮州の賭場経営者鍾源峰の自宅を暴漢8人が襲い槍で突き殺したというもの。
14日のニュースでは「恨みから槍で刺しまくり殺される。潮州のビックリ槍殺人事件。KTV老板が殺される。七、八名が車で逃走」
さらに「潮州人鍾源峰が槍で17回刺され死亡。自宅で8人襲われその場で死亡。わずかに1分間のできごと。母親が目?していたが通報者は民代。殺人の理由は金銭のもめごとか恨みによるものか?政界の人物が関与か?」
この時点ではまだ議長が関与しているとはわからなかった。
15日のニュースでは「検察長が警察に担当検察官の24時間警護を求めた」
16日のニュースでは「鍾源峰事件で政治関与はぬぐえない。検察は屏東政界のごく狭い範囲に特定。」但しまだ名前は出さない。
17日のニュースで本格化「民進党立法委員蔡式淵が示唆、鄭太吉が殺人か。」国民党立法委員長曾永権・屏東県党委員華加志・県長伍澤元がこれに反発。
「鍾源峰事件には屏東政界の鄭という名の人物が関与と蔡式淵が発言」
18日のニュースでは「鄭という名の人物を緊急逮捕令、だが逮捕失敗。午後、鄭太吉が事件の説明をしてから逮捕。」
19日のニュースでは鄭太吉の氏名を報道。
ここまでの報道では記者の署名がなかった。新聞社は黒金政治の脅威にさらされており、安全のために署名を避けていた。実は、鍾源峰事件の1ケ月前の11月14日夜に鄭太吉の手下15人がバットを持って民衆日報屏東支社に侵入し殴りかかった。結果「記者3名がケガをした。15、6人がヘルメットをかぶり棒を持っていた。選挙暴力と関係の疑い」
最も勇敢な中国時報では外出する記者は防弾チョッキを着用していた。

上記報道内容からは、「県国民党内を牛耳るヤクザ議長が金のもつれから殺人をおかし、嗅ぎつけた民進党がバラした」とも受けとれます。15日のニュースと最後のくだりに注目してください。検察・報道ともにヤクザを恐れていたことがハッキリ書かれています。では当時の政治状況はどうだったのでしょうか?
こんな記述を見つけました。「屏東縣:派系K道盛行,政黨結構偏香v
http://big5.china.com.cn/chinese/zhuanti/2004twldr/446200.htm
  屏東県の黒道勢力は強大で地方社会に大きな影響を及ぼしている。
  李登輝の執政の後,不完全な民主改革と民粹主義が黒社会勢力を選挙に
  関与させ議会や権力に進出させることになった。
  屏東県政界には黒社会が新興政治勢力となったのである。
  黒道出身の前県議会議長鄭太吉はその典型である。
  1990年初めに黒道勢力の支持で鄭太吉は高得票で県議員に
  当選し,張派の郭廷才と連合した結果,副議長になった。
  1992年12月,郭廷才が立法委員に当選後,鄭太吉は
  郭廷才の支持で議長となった。鄭太吉が屏東県の新興
  政治勢力の一角となって,国民党上層部の賞賛をもらい
  鄭太吉は国民党に加入した。
  国民党は鄭太吉の黒道グループを使って,伍澤元を支持
  して民進党の手中にある議長職を奪回した。
  この後,鄭と財界人鐘源峰は死ぬまで政治的に結束することになった。
民進党が支配していた屏東を奪回しようとした国民党が黒道ヤクザと結託し、やがて黒道が政界に入るようになって白道となっていったのでしょう。これを再度奪回しようと民進党がバラしたということでしょう。ちょうど陳水扁総統の時代になりました。

さて、もうすこし探しているとこんな事件にでくわしました。
黄泰郎刺殺事件
http://www.cdn.com.tw/daily/2001/06/16/text/900616dh.htm
  屏東のヤクザ兄イ黄泰郎が昨日氏名不詳の男に襲われ槍で殺された。
  体に5箇所の槍傷があり病院で死亡。黒白両道が驚愕の事件で
  警察は全力で調査中。
  警察の調査によると、屏東ヤクザ(黒道)黄泰郎38才は昨日
  午前10時20分ごろ萬丹郷の郷民服務所で新聞を読んでいた
  ところ突然フルフェースのヘルメットを被った男1名が侵入し
  てきて一言も言わず槍で何度も突いて黄は血の海に倒れ、男は車で逃走した。
  車は盗難車であり、計画的な殺人事件と考えられた。
  黄泰郎の周辺背景は複雑で、最近は政治にも関わっており
  黒白両道での議論が沸騰している。
  警察は賭場での揉め事か黒道のうらみによるものと考えていたが
  選挙利益がらみとの考えも排除できない。
  昨年出獄した屏東ヤクザ黄泰郎は近ごろは萬丹郷民服務所にいて
  公益活動をしていた。
  16才で殺人を犯した黄泰郎は屏東黒道の親分である鄭太吉と
  鍾源峰の3人は悪の交際をしていた。
  鄭太吉が県議長になった時、黄泰郎と鍾源峰は新園郷につくった
  賭場に出入りしていた。
  黄泰郎は鄭太吉が賭場のあがりから毎日2萬元を持っていくのに
  不満でモメていたとの節がある。
  鍾源峰が鄭太吉に殺されたあと、黄泰郎は鍾源峰の仇をうつと話
  したことがあった。それを防止するため黄泰郎は刑務所に送られたのであった。
  黄泰郎は出獄のち萬丹郷民服務所と萬丹郷環保協会の理事長的役割
  をはたしていた。また萬丹郷の南派政治人物と緊密な活動をしており
  県議員選挙や郷長選挙にも動いていた。
  政治事務に積極介入していたのが槍で死ぬことになったと黒白両道のウワサである。

ほとんど同じ内容の事件であり、これを読んだときはわけがわからなくなりました。とはいえ、鍾源峰刺殺事件のいきさつをもうすこし詳しくみたいと探したのがこれです。
鍾源峰刺殺事件
http://www.99ch.com.tw/style/frame/99ch/news-detail.asp?lang=1&customer_id=346&name_id=10218&doc_id=5094
  前屏東県議長鄭太吉と鍾源峰は幼い頃からの友人で、一緒に賭場経営
  するなど関係は密接であった。
  83年10月に黄泰郎と鍾源峰が賭場を開いたが、上納金2萬元を求める
  鄭太吉には不満であった。また、黄慶平が鄭太吉の以前住んでいた家で
  賭博していた時に鍾源峰から辱めをうけ、鍾はあやまったが鄭太吉は
  極めて不満であった。
  その後、鍾が黄を殺してやるというのを聞き、鄭は恨みがさらに増して
  先に殺すことにした。
  83年12月13日、鄭太吉一行は鍾源峰宅に押し掛け、鍾の母親が
  許しを求めるも鄭太吉が真っ先に鍾源峰を槍で刺し、さらに黄慶平・曾錦良
  も含めた3人で16回も刺し、鍾源峰はその場で死亡。
  89年7月に最高法院の判決で鄭太吉は死刑、その他は無期懲役となった。


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