[脱線1]
大阪には難読地名が多いが、ここ住吉には難敵がいます。
問題 「 読 み 」
安立 「
あんりゅう」
我孫子 「
あびこ 」
遠里小野 「
おりおの 」
千躰 「
せんたい」
大阪難読地名クイズ(Excel)
スタジオから最寄の駅「我孫子道」はなぜそう呼ぶのか?
宗教や寺に関心があれば楽勝な問題なのですが。
中世の大阪から和歌山への紀州街道はメインルートでした。
ここから東へ分かれて我孫子観音までの道が我孫子道で
阪堺電車が開通したときに駅名をそれにしたのは当然です。
大阪恵比寿町から堺市大小路までの路線が開業したのは1911年
明治44年のことで、当時から我孫子道駅は存在していました。
[脱線2]
古い古い歴史のある地名の中で、遠里小野の歴史をば。
(私は住吉大社には行ったことがあるけれど、我孫子観音)
(には行ったことありません。遠里小野も市バスの停留所名)
(や大和川にかかる橋がある、程度の知識しかないのです)
遠里小野はもともとハシバミ油の生産で栄えていたが
大山崎でエゴマ油が生産されると生産量・品質ともに
競争力を失う。
そこで油含有量の大きいナタネ油を生産して逆転する。
戦国時代が終わり江戸時代となり人口増加と消費量増加
で遠里小野は再び繁栄する。
しかし、河内の低湿地の開拓のため大和川を堺に流す
大工事が元禄の頃に行われ、遠里小野村は大和川で
2分される。北側は大阪市住吉区遠里小野となり
大和川の南側は 堺市堺区遠里小野町 となった。
もちろん、2分された村は他にもあります。
この図は1925年のもので開業してから14年後になります。