台湾113. John Dodd その後

清仏戦争後に故国スコットランドに帰国したJohn Dodd はどうしたのか?
http://danshuihistory.blogspot.jp に説明がありました。
原データは Niki JP Alsfordの本です。
 The Wittnessed Account of British Resident John Dodd at Tamsui

(1) John Doddはスコットランド人か英国人Englishか?
   Doddの洗礼記録によると 父:John Dodd  母:NannyまたはNancy
               生年月日 1838年11月11日
               生地   St John, Preston, Lancashire, England
               住居   Shambles意味不明
               職業   肉屋

(2) Doddが台湾にいた間には家族がいたのか?
  子供は2人で ValentineとElaineか?
   家族写真では2人の子供がいたことがわかっている。
   妻は香港人でTaiheeというが、台湾での伝統的な意味では正式の妻ではない。
   異文化間での婚姻は当時は不十分にしか認められておらず、これはMackay博士の子供でも同じ状況だった。

(3) Doddが淡水を離れてどうしたか?
   Doddは英国Englandに戻って Maryと結婚した。
                日時   1893年8月7日
                場所   Atcham, Shropshire(Walesとの境)
   Maryの父はPorthmadocの市会議員で、その町はDoddが最後に移った先Trefriwから遠くはない。
   Doddは住居を Glen Mair(英国風ならMary's Valley)と名づけた。
   中国での商売を引退した金持ちとして記録され、元の住所に戻ることはなかった。

Doddの台湾妻Taiheeと2人の子供はどうなったのでしょうか? Alsfordの本を入手していないのでわかりませんが
[ Valentine Dodd Hongkong]で検索すると、こんなが見つかりました。
In loving memory of
John Valentine Dodd
born 26th June 1870
died 24th September 1932
and of
Pansy Dodd
born 22 December 1922
died 14 September 1939
R.I.P

さらに、Elaine Doddの
In loving memory of
Elaine Dodd
wife of E.Delsarte
born 10 May 1869
died 1st October 1969?アヤシイ
erected by
her sorrounding brother
John Valentine Dodd

妻Taiheeの行方は探せませんでした。
長女Elaineは結婚したのですが墓は単独で弟Valentineが建てたことからすると、離婚したのでしょうか。
Valentineは62歳で亡くなり、その7年後に17歳で亡くなったPansyと一緒に葬られています。
多分PansyはValentineの娘でしょう。とすると墓を建てたのはValentineの妻か。

馬偕Mackay博士も台湾人の妻と結婚していますが、故国カナダに帰ってカナダ人と結婚したりはしませんでした。
一方、John Doddは現地妻と子供を残して英国に帰り、そこで結婚したのです。
2人の子供はDoddの姓を名乗り、母の地香港に没します。
Mackayの日記にその後のDoddについて記していないのは、妻子を残して帰国したことを怒っているからでしょうか?
台湾烏龍茶の父と呼ばれますが、スゴ腕の英国商人というイメージに変わってしまいました。