鶴橋3 コメント付
場所 :     大阪市生野区鶴橋
日時 :           2024/5/15
モデル:           大坂あい
BGM :Milva & Piazzola Live 1988
Jose Feliciano Best     

今回は、前回不満足に終った撮影の再挑戦なのです。何を失敗したのか?
2時間の中に洋装・和装を盛り込み、とりとめなく・・・
モデルさんと意見一致し、3時間で洋装2着としました。
前回は古い京町屋、今回は大阪の古い廃工場♪
思い通りにならないスモークマシンに四苦八苦 ウヘー
さて モデルさんはどう感じたのでしょうか?
稼ぎ仕事として淡々とポーズをこなす のではなく
あ~でもない、こ~でもない と悩み悩み♪
あー 僕と同じだー








この写真だけ見たらスットコドッコイなポーズですが

フランス彫刻家ブールデルの弓を引くヘラクレスが念頭にあったのです。
右足・右腕・左腕の角度をそろえるのはキツいでしょうネ。


ずいぶん細い手足なのに筋肉がよく見えています。


筋フェチとしてはついつい手の甲の腱に視線が・・・
もすこし手指に工夫があると嬉しいナ。


ダンサーの練習風景に見えませんかぁ。


スットコドッコイは忘れて心機一転 頑張る!






なぜ斜めなのか、さして理由などないキマグレです。


ダンス衣装なので腰を回転すると裾が大きく広がるのです。


ピンヒールで回転するのは危険なのでサンダルで練習。






なかなか思い通りの脚揚げ・スカートの広がり・腕の位置にはなりません。


偶然撮れた首無しモデルさん♪  ただ単にそっくりかえっただけ。




「近寄ったら蹴るワヨ」 「蹴ってもいいけど踏むのはヤメてね」


スモークの動きは予想もつきません。人が歩くだけで・・・

古い油絵のように仕上げました。額縁はまだまだ要改善


スモークで気がついたのです。煙草クワエてもらおうか。


吹いたスモークはそのまま奥に流れたあと、広がりながら次第に薄まるのです。





逆光撮影には奥の壁だけでは不足なので強いタングステン灯を背後に
手前から白色LED灯で迎え撃ち。                       



 
放射状の影が面白く、違う2枚を並べてみました。


背後ライトが身体の中心に、さらにモデルさんも画面の中央に。


スモークが少し均一になってきて、カメラ位置を下げて仰ぎ見るように。


動きのあるポーズなので背後ライトがほんの少し覗くようにして明暗の差を大きく。


白いスモークならぬ白トビで画面をどうにかしよう。


スモークはかなり薄くなってきました。







ガチの休憩タ~イム   今日も元気だ、タバコがウマイ!






恒例の影遊び。 影の左手と実体の右手を引いてもらうのを忘れていました・・・


影遊びではなく単なる影撮影。照明とモデルと壁の位置関係を四苦八苦。


頭上の手の影に気がつきませんでした・・・


ドレスがどの程度透けるのかテスト。


さらに、腕の下側に光がどう当たるのか確認。




あ~いいですネェ  背後のタングステン灯、左手前からのLED灯。


後になって「手指を太股に食い込ませたら・・・」  毎度の反省


手・髪・胸 が垂れるポーズ   やっぱりイマイチ


背中の筋肉を撮りたくて、いろんな動きを繰り返したアゲクの1枚。


向きを変え、撮影方向も変え。




首の筋肉・鎖骨・胸骨 がこの1枚の目的。


同じポーズで現像を全く変えました。 アー髪を乱すのを忘れ・・・


撮影の最初のブールデルの裏返しを狙ってみたのです。


スモークを散らして、照明をアーダコーダ  のスナップ
実は画面に写ってはイケナイ物が。モデルさんがヒョイと置いたのです♪






撮影の最初の位置に戻り。 おしい、右手指が隠れてしまった。


足の動きだけで、ドレスを回転させようとしているのが想像できるか・・・


最後にブリッコポーズをお願いすると、カメラが嫌がってしまいました。
私のせいでもモデルさんのせいでもありません。             


[ 脱線 ]                                            
鶴橋も森之宮と同じく古い古い歴史があります。
歴史に出てくる最も古い橋はすぐ近くの東小橋ひがしおばせにありました。
仁徳14年(西暦408)に仁徳天皇が百済川(平野川)に架けたそうです。
当時は上町台地の東側には河内湖が広がり船運が便利だったのです。
高津宮から小橋まで官道が伸び、河内・大和への交通路だったわけ。

日本書紀巻第十一の原文                  
十四年冬十一月、爲橋於猪甘津、卽號其處曰小橋也。
是歲、作大道置於京中、自南門直指之至丹比邑。   
又掘大溝於感玖、乃引石河水而潤上鈴鹿・下鈴鹿・  
上豐浦・下豐浦四處郊原、以墾之得四萬餘頃之田。  
故、其處百姓、寛饒之無凶年之患。            
猪甘津とは現在の猪飼野で桃谷にあります。       
鶴橋の明確な起源は不明ですが、江戸時代には「つるの橋」と呼ばれており
昔はここに鶴が飛来していたから
津の橋がなまったから      
明治7年に木橋から石橋に架け替えられ、さらに大正12年に新平野川が開削
されて旧平野川は埋め立てられ小橋(つるの橋)は廃されます。
昭和27年に旧橋の親柱と記念碑を設置し「つるのはし跡公園」としました。