[ 脱線 ]
鶴橋も森之宮と同じく古い古い歴史があります。
歴史に出てくる最も古い橋はすぐ近くの東小橋
ひがしおばせにありました。
仁徳14年(西暦408)に仁徳天皇が百済川(平野川)に架けたそうです。
当時は上町台地の東側には河内湖が広がり船運が便利だったのです。
高津宮から小橋まで官道が伸び、河内・大和への交通路だったわけ。
日本書紀巻第十一の原文
十四年冬十一月、爲橋於
猪甘津、卽號其處曰
小橋也。
是歲、作大道置於京中、自南門直指之至丹比邑。
又掘大溝於感玖、乃引石河水而潤上鈴鹿・下鈴鹿・
上豐浦・下豐浦四處郊原、以墾之得四萬餘頃之田。
故、其處百姓、寛饒之無凶年之患。
猪甘津とは現在の猪飼野で桃谷にあります。
鶴橋の明確な起源は不明ですが、江戸時代には「つるの橋」と呼ばれており
昔はここに鶴が飛来していたから
津の橋がなまったから
明治7年に木橋から石橋に架け替えられ、さらに大正12年に新平野川が開削
されて旧平野川は埋め立てられ小橋(つるの橋)は廃されます。
昭和27年に旧橋の親柱と記念碑を設置し「つるのはし跡公園」としました。