[ 脱線2 ]

2025年の新世界~四天王寺
天王寺公園から北に延びる緑は上町台地の西縁、崖や坂道。

1955年の新世界~四天王寺
赤い太線は市内を走る市電の線路。

1925年(昭和元年)の新世界~四天王寺
天王寺公園の美術館はまだありません。
北霞町と南霞町の名前がみえます。

1903年(明治36)の新世界~四天王寺
新世界から天王寺公園にかけて「第5回内国勧業博覧会」があったのです。
北霞町と南霞町の区分けが納得の線引き

勧業博覧会の地図
初代通天閣は博覧会跡地に1912年に建設されたのでここにはありません。
第2次大戦中に鉄材提供のため解体され、現在の2代目は1956年(昭和31)に再建。
地図下端に「関西鉄道壕」とあるのに注意。まだ私鉄だったのです。
「住友別邸」とあるのは住友財閥の別邸で現在は慶沢園として残ります。
現美術館の場所は屋敷のあり、大阪市がのちに美術館を建てました。

1900年(明治33)の阿倍野~四天王寺
上町台地の西縁は一心寺・茶臼山から飛田・聖天山と続くのです。

1886年(明治18)の大阪南側
四天王寺はあまり変わらず、新世界のあたりは今宮村で、タンボが広がります。
大阪の鉄道は東海道線がようやく完成しただけ。もちろん住友別邸など影も形も。