千日前8
コメント付
場所 :大阪市中央区千日前
日時 : 2024/6/5
モデル: なすたろう
何度も撮影で来た、それだけカメラマンを引きつける場所ということ。
知り合いモデルさん情報で味園ビル2階の飲み屋街は今年で閉鎖だと。
ということはビルそのものもいずれ消えてなくなるのネ。
こんな(
どんなやネン?
)妖しい飲み屋ビルに似合わないモデルさんを引摺りこんで
さてどんな撮影になるやら予想もつきません。やっぱり場違いなままなのか、予想外のハマりこみなのか
どちらでも ナンカオモシロソー
よく見る撮影場所、私も何度か・・・ ちょいとヒネッてみました。ささやかな抵抗。
もうちょいとヒネりました。
ワザと逆光にしてモデルさんの首の長さを強調。
ここを海に見立てることは容易いので、さらに飲み屋の女の世界を連想するのも近い。けれど安易すぎる。
最初の撮影場所に戻ってごくフツーのポーズをお願い♪
その脇にEVの緑の壁がきれいでした。飲み屋に似つかわしくない。
もうちょいと闇に沈めたほうが良いなあ。現場ではこれで良しと思ったんだ。
もたれたら偶然にスイッチが入ったのです。
飲み屋ビルらしからぬクールな画面。モデルさんも理解しています。
押したスイッチで開いたドア、これも偶然の画面。
今回のパーツ撮影はこれだ! 結構イジリました。
ここも多数のカメラマンが撮る場所。イカニモ飲み屋入り口。
まだちょっとギコチナイです。恐る恐るという顔つき♪
だったら飲み屋らしい隠微あるいは淫靡な色合いでいってみよー。
普段の表情・動きをこんな場所でするのは無理がありますよネ?
極端なことをすると逆にそのあとはスムースになるもの 笑
照明の色を元に戻しました。
舞台でスポットライトを受けておりますル。
ふと壁のプロレスポスターが目に入ったので逆に女らしいスカートに。
ポーズはプロレス寄りに拳を握って。
あ~ここは後ろ向きが正解。前向きも撮ったけれど。
画面に動きを出したく斜めの動作をしてもらいました。
肩から下に負けないよう顔に落ちる影を強くしたのです。
ギリギリ
アウト・・・
だいぶホグレてきたようなので(僕も)照明の方向をいじります。
逆光で浮かぶ姿に手前から光を当てようかとも思ったのですが。
通行の邪魔にならないようチッチャな照明でござんす。
首の筋肉を強調するようシンプルな背景を選んだのですが
意外な発見:壁のタイルが実は大理石
あ~ いいですネ~
飲み屋街らしい背景
同じポーズ・表情でもこの場所なら ちょっとコワイ・・・
階段を下りると外へ出るのですが、何か地獄へ続くような・・・
支払ってからでないと帰れないワヨ そう言ったかどうか。
今回のなかで一番と思うんだよね~
「撮影終了で~す」 モデルさんらしいなあ。
[ 脱線 ]
なぜ千日前と呼ぶのか、なぜ○○と言うのか、知りたくありませんかあ?
知らないほうが幸せかもネ
歴史は江戸時代初期から
道頓堀が開削されたのは江戸のごく初期のこと(安井道頓一族による)
また、豊臣の時代から大坂市内の寺は集められ寺町となり
徳川の時代には市内の墓地は周辺に移転整理されました。
千日・小橋・葭原・濱・梅田・蒲生・飛田の大坂七墓が有名です。
(僕の知るのは 濱・梅田・蒲生の3つだけ)
千日墓地には刑場も置かれました。(京街道ぞいにも刑場あった)
明治維新で刑場は廃止され、墓地は阿倍野墓地に移転され
その跡地が大興行街になる、と某HPに記載あるのですが、ハテ?
難波駅の東側は現在も繁華街で花街難波新地はその北側。
墓地の手前にあった竹林寺や法善寺では死者を弔う千日回向が
あって、それから竹林寺は千日寺とも呼ばれ、その前が千日前。
「市中引き回し獄門」などと映画でみた覚えあります?
大坂には奉行所が東西2箇所あり、西町奉行所から千日刑場まで
罪人を籠に入れて運ぶのです。
1916年(大正5)の地図。道頓堀の南側に芝居小屋が並ぶ。
この黒門は市場とは無関係
1872年(明治4)の絵図 墓地も刑場もあります。