現像の終わった写真を並べてから背景色は決めています。枠や文字はそれに合わせて。
今回は写真がイマイチ暗いので、せめて背景だけでも明るくと。ミスマッチなのは承知の上。
ここ数回自分勝手な個人撮影では、撮影前からアンナ写真・コンナ写真を撮ろうと用意していたのに
今回は全くのノープラン。 照明も小道具も他人まかせ、カメラだけ持って撮影会に参加したのです。
イカン
現場でふとつぶやいた「なんか撮らされてる感じ」が現像・整理している今も続いているのです。
「撮ってる」ではなく「撮らされている」
単なるワガママ病なのか、撮影そのものに飽きてきたのか????
アリバイ写真のような説明クサイ1枚。
「ケンカ売りに来たネーサンみたい」この一言で現像遊びしてみました。
あーでもないこーでもないとモデルさん格闘中。
モデルさんによって色と向きも変えよう。
ワザと布にピントを合わせたのか老眼ボケなのか判然としません。
せっかく鏡の中の後ろ姿にピントを合わせたのに、さらに背景の暗さに気が付いていませんでした。
モデルさんが狭い狭いカウンター下を希望するので、ならばトコトン面白く行こうと衆議一決。
モデルさんのニヤニヤが止まりません。
ときどきビックリする力強さを発揮するのです。
主催者・モデルの期待しない1枚を。
あちこちの影がアカン・・・ 現場で見逃してました。
両足ともカカトを浮かしたほうが良かったか・・・
シャボン玉の扱いは結構難しいデス。ワケワカランものが浮いているだけ、にならないよう。
失敗デス。
舞台前の楽屋のイメージで撮ってみました。
独り舞台のモデルさん、頑張るの図。
オバケにならないよう、2つの照明と顔の位置関係をアーシタリコーシタリ。
赤一色だとどうにも締りがない写真になっちゃいます。素人の限界ってこんなものサ。
カーテンの模様がどうにもジャマでお手上げです。
カーテンをすっ飛ばして小細工してみました。
窓枠を十字架に見立ててみたのです。
雨が降り止まない10月、恐るべしモデル2人。
写真的にはダメダメですが、ハルカスを入れたかった遊びの1枚
脱線
「千日前」の名前の由来は歴史マニアには面白いのですが、写真好きには興味ないハナシでしょう。
江戸幕府が秀吉に引き続いて行った市内の整理・開発により、市内に散在していた墓地を周辺に整理統合
した中に「千日墓地」があり、法善寺の南側ちょうど千日前にあたります。
法善寺と隣接の竹林寺で千日回向をしていたので千日前と呼ばれたとあるのですが、ではそう呼ばれる前は?
江戸中期に大坂代官屋敷を設けるため玉造の伏見坂町が接収され、千日前の地に代替地が与えられ元伏見坂町
となります。現在呼ばれる「坂などない坂町」はこんな歴史がありました。
千日前あたりは南地五花街(宗右衛門町・九郎右衛門町・櫓町・坂町・難波新地)の1つとして栄えます。
明治末の大火でミナミは焼失し、復興の原動力は南海電鉄と松竹にありました。
ですが第二次大戦で再びミナミは焼け野原となり、今度の復興は松竹ではなく吉本が担うことになります。