帯解おびとけ
  真夏の奈良は帯解の山村御殿を訪れました。地図には円照寺と記載されています。
  観光ルートから大きく外れ、まわりには田んぼと農家があるだけ。


   門から続く並木道はわずかに曲がり、先を見通すことはできません。


   行きかう人もなく静かな参道です。




   参道を奥に進むにつれ薄暗く、緑が濃くなってきます。




   枝道を分け入ると緑の世界が広がります。






   周りの濃い緑の中だからこそ、若葉の黄緑が映えます。


   ここは「山之辺の道」なのですが訪れる人は少ないようです。




   暗い道を曲がった先に別の門がみえてきます。








   その門の先には寺の境内が続くのですが、入ることができるのはここまで。


   唐破風の玄関屋根と塀が格式の高さをうかがわせます。


   参道を戻るとようやくヒマワリ畑に気がつきました。 夏は盛り。





ここ圓照寺(山村御殿)は大和3門跡(尼寺)にあげられています。法華時・中宮寺・圓照寺
ほとんど知る人もない(公開していないから)のですが、寺格の高さは群を抜いています。
それは、代々の門跡が皇室から来ていることで明らかです。
前門跡山本静山尼の出自について話題になったことを覚えている方もいるでしょう。
圓照寺は華道山村御流の家元でもあり、現在も活動は続いています。
静山尼はしばしば皇居へ花の指導に行かれており、皇室との結びつきを想像させます。
小説好きな方は三島由紀夫の「豊饒の海」に出てくる月修寺を思い起こすでしょう。
圓照寺がそのモデルで、三島は何度も訪れています。
「豊饒の海」を書きあげてすぐに阿佐ヶ谷で自決したのです。
激動の周囲とは隔絶して、今も圓照寺は静かにあります。