難波宮
場所 :大阪市中央区 .
日時 :2020/11/22  .
モデル:Saha     .
コロナ感染が拡大しつつある中、多分ことし最後の撮影になるかも、と思いながら
いったいどこが良いんだろう? と思いついたのが難波宮公園。
大阪城のすぐ南側の便利な場所なのに、な~んにもない只の芝生公園なのです。
それでも3連休の真ん中、結構な人出でカメラをどう向けても人が入ってしまい
なんとか隙間をぬって撮影を進めました。
撮影の前に考えていた企画はすっかり消し飛び、その場の思いつきに。
なので、今回のお題はありません。




撮影前の遊びです。心と体をほぐしましょう。


これを夕景色のようにレタッチすることもできますが、空しくなるので試すこともしません。








何もない遺跡、遠い景色。いろんなポーズを試したあげくに、何もしないことに。




実は前にも後ろにもいろんな人が思い思いに遊んでいるのです。




↑奥行きのない写真にしたので  ↓で挽回。





画像処理そのものは単純で、明度と彩度をイジッただけ。見えて困るものは現場で処理しています。


同じ処理をして、さらに白黒に。 遊びです。






空き地に咲く花がたまたまモデルさんの衣装と同じだったのです。


無粋な金網も色を調整すれば意外とイケるんです。



いくつか邪魔者があるのですが、それが入らないカメラ位置を探すのも腕の見せ所。




目でみたよりもフワフワに仕上げたのですがこれが限界。


そうなるのを見越して最初から色温度設定を変えておきました。なのでこちらは余りイジらず。




夕景色になるよう色温度を高くしました。 暖かい光が余計に夕方感を増します。


単純に寄ってみただけなのですが


ならば暖かい光を直接に取り込んでみました。


撮影で訪れた場所に地蔵堂と井戸がありました。
石碑には「細川忠興夫人秀林院殉節之遺址」とあります。
忠興の正室玉は明智光秀の三女。
信長の命令で細川藤孝(幽斎)の嫡男忠興に嫁いだ。
光秀の死後直後は謀叛人の娘として丹波国船井郡に幽閉された。
忠興は秀吉の部下として生き残りをはかったが
謀反人の娘である玉は細川家大坂屋敷に幽閉された。
洗礼名ガラシアは幽閉中も密かに信仰し教会に認められていたため。
とはいえ秀吉のバテレン追放令があるため、ガラシアは屋敷内に
幽閉されたまま、信仰は捨てなかった。
なぜ屋敷で自害することになったのか、波乱万丈の人生でもさらにドラマチックな経緯の連続で
ぜひ一読を勧めます。いろんな本がでています。
細川家記に「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ 」
という時世の句があるそうです。私は「散り時を間違えたという悔悟」と読んだのですが・・・
墓はいくつもあり、大阪市の崇禅寺・京都大徳寺の高桐院・熊本の泰勝寺など
ガラシアの死後直後、屋敷の焼け跡からガラシアの遺骨を神父が拾い
堺にあったキリシタン墓地に埋葬したが、後に徳川により墓地は破壊されたと。
では崇禅寺などの墓には何が埋葬されているのか?
かつて、墓には必ずしも遺体・遺骨が埋葬されていたわけではありません。
故人の愛用品や遺髪のほかに、遺族が納めてあげたい品物などがあります。
墓が各地にあるというのは、ガラシアを思う人がそれだけ各地にいた証です。