流れ橋2
場所 :八幡市上津屋橋
日時 : 2024/1/29
モデル: tuyu
昨年の大水で橋の半分近くが流され、めったにない撮影チャンス
ところが、撮影まじかになって復旧工事が始まってしまいました。あ~あ
河川敷に下りることすらできません。
手前の茶畑は水に漬からなかったようです。
天気は曇り、隙間からときたま光は射すキマグレ。待っても期待の光になるかどうか・・・
妖しく雲の退散魔術をつかうモデルさん。
雲が割れ光が射して有頂天のモデルさん。
魔術で舗装がヒビ割れたわけではありません。
かなたの犬を連れた人がどこにあるのが良いのかいろいろ撮ったアゲク。
水平がよいのかどっちか傾けたほうがよいのか、これもアゲク。
実は、流れていない橋を
イメージ
して堤防で撮影していました。
立ち位置だけ指定してあとは放し飼い、モデルさんは困惑。
冬の枯草色にも細かなグラデーションがあって、だから屋外ロケは好き。
この階段ではないコンクリートブロックが何なのか悩んだのです。
①昔は全面を覆っていたなれのはて
②左右で町が変わる境界
③階段2列の間にある平たい部分がミソ
その内部に水道管が埋まっている。
たまたま射した強い光、チャンスなのです。
この写真を見ていて気がついたのです。階段でよくこの色に仕上げるなあ。
違うことしなくっちゃ・・・
通りすがりの神社でスナップ。あえて周囲に埋もれる画面に。
ポーズに意味はないです。地面の微妙な色あいと影遊び。
鳥居の向こうの参道は東向きなのだが、川がもっと北側にあった大昔の頃からなのか?
僕は大木マニア。ここの一番の大木は楠。江戸時代からあったに決まってル。
モデルさんの普段の撮影とは逆に肌色少な目。
滑り台に釣られて入った小さな公園のこんな大木が♪
モデルさんそっちのけで撮影するわけにもいかず。
まるで岩のような根っこ、どうです?撮りたくなったでショ?
今回はあえて、モデルさん得意のポーズは避けました。
もちろん現場ではそんなポーズのほうが多かったのですが。
天邪鬼なカメラマン と呼んで下さい。
閑話休題
流れ橋のすぐそばにある石田神社、当然に関係あります。
江戸時代は牛頭天王社と呼ばれ、明治に改名されたそうです。
川を挟んだ周辺3集落の氏神だそうです。
村の境界線が川の両側に広がるのは、珍しいはず。
1890年(明治23)の木津川周辺、赤い線は流れ橋の位置
村にはちゃんと神社が見えます。
この地図には橋はなく、初めて架けられたのは昭和26年のこと。
これは敗戦後の1948年に米軍撮影の航空写真。
河川敷に茶畑はありますが流れ橋はまだありません。