脱線 .
撮影場所「新門前通り」があれば当然「古門前通り」も。
もちろん新門前通りがあとから名づけられたのですが
京都人には「古いことはエーこと」という信念があります。
(一方、新しいもの好きという二律背反も)
ネットには新門前町がいつごろできたのか由来が見つかりません。
明治に外人観光客を相手の美術品・土産品店が軒を並べた
という記載もありますが、通りの由来はサッパリ???
調べました。
日文研(国際日本文化研究センター)が公開している全国の
地図・絵図にきっとナニカあるはず。
それが
古門前通りとセットになった地図しかないのです。
京圖鑑綱目 : 名所手引 宝暦4年(1754)
江戸初期にはすでに両方あったのでは、と妄想します。
ちなみに、門前となる寺は浄土宗知恩院、法然上人が開いた草庵から
幾多の興亡を経て江戸初期に大発展する。
それは、家康が浄土宗徒だったためで、2代秀忠・3代家光も
熱心に造営を行っている。
古門前通り・新門前通りという名前はこの3代のころではないか
と推測するのですが、史料は見つからず、ここで調査断念。
古門前通りの白川近くには「古門」があり
新門前通りは東大路で途切れ、一筋南側に「新門」があります。