[ 脱線1 ]
中央公会堂は明治末の大阪北浜の株相場師岩本栄之助が資金を寄付して
当時寂れていた中之島(江戸時代は蔵屋敷街)の開発の目玉だった。
1913年(大正2)着工し、1918年(大正7)完成したが、岩本は第1次大戦の
相場で大損失をだして1916年(大正5)に完成前に自殺している。
大阪にはこのような寄付による公共施設があるのは伝統で
大阪駅前歩道橋 1964年(昭和39)に松下幸之助より寄付
設計者は前職での同僚、なのでチト不安。
東洋陶磁美術館 1980年(昭和55)に住友グループから
陶磁器を寄付され、建物を大阪市が建設
大商社安宅産業が破綻し伊藤忠商事に吸収され
安宅コレクションの行方は政治問題となるほどの
大規模なものであり、当時の住友グループ各社が
資金を寄付しあった。
地下鉄OBP駅 1990年(平成2)にこれも松下幸之助の寄付
大阪市交通局との確執で結局使用せず
なかなか面白い話だが割愛。
こども本の森/中之島 2020年(令和2)安藤忠雄により寄付
今後の運営のため寄付金(法人・個人)を募っています。
2022年時点で1272件総額8900万円
[ 脱線2 ]
中央公会堂のある中之島の昔はどうだったか? 調べてみました。
終戦後1948年(昭和23)に米軍が撮影したもの。
中央に公会堂、その左側が図書館、さらに左に市役所
田の字形の大きな建物は高等裁判所
戦前1928年(昭和3)の航空写真、あまり違いは見られませんが
公会堂の北西にかかる水晶橋が工事中です。
1837年(幕末天保8)の地図。中之島は短くて難波橋に届いていません。
水晶橋・鉾流橋はまだありません。□の中の漢字は各藩の蔵屋敷です。
公会堂は土佐堀にかかる栴檀木橋の正面なので、館林藩と仙台藩に当たります。
1691年(江戸中期元禄4)の地図。中之島はさらに短くなっています。
館林藩の代わりに森伯耆守(美作津山藩)が
仙台藩の代わりに山□勘経由(う~ん読めない)