[ 脱線 ]
参道入口鳥居の脇にある石柱「高津宮」
昭和26年に建てられ、書は宇垣一成のものだと。
モデルさんに自慢げに解説してしまいました・・・
宇垣は第2次大戦の最初、ハワイ侵攻作戦で
No2の参謀長を務めた軍人 と。 トホホ・・・
チガイマス
それは宇垣纏
まとめ中将のほうです。
同じマチガイを昨年もしました・・・
宇垣一成 イッセイでもなければカズナリでもなく
カズシゲと読みます。
陸軍大将。幕末1868年~1956(昭和31)
この碑は昭和26年に建てられたので
戦後に宇垣が揮毫したのでは?
では誰が依頼したのか、どういう関係か?
敗戦後の戦犯裁判では米内や岡田啓介
と並んで公職は追放されたが裁判からは
除外されている。理由は「ファシズムに
抵抗した平和主義者」だそうだが、実は
抵抗したのではなく「ファシズムに受け入れ
られなかった」という人物評。
宇垣纏 マトメと読みます。
海軍中将。1890(明治23)~1945(昭和20)
敗戦前日の14日に海軍司令長官小澤より
積極攻撃の中止を命令されていたのに
当日の玉音放送の後、夕刻5時頃に基地に
残された11機で沖縄特攻をめざし
戦死18名、生還5名。
この報を聞いて小澤は激怒したと。
この2人は同郷だが親戚ではない。