高津3
場所 :大阪市中央区高津
日時 :      2025/4/5
モデル:     なすたろう

撮影は土曜の昼、桜は満開、気温はソコソコ。多数の花見客で撮影は絶望的。
いつもは誰も来ないような裏の谷底にまでチラホラ客が来る始末。困った。
事前に思っていたような画面にならず、撮ったマンマ並べることに。
う~ん、段々とスナップ写真ばかりになる予感・・・


あ~困った。どう撮りたいのかな~んにも考えてなかった・・・
まあいいか、どうにかしてくれるモデルさんだし♪


繰り返しますが桜が満開の昼なのです。



ちょいと明るい目に仕上げてみよう。


いつも同じ表情はオモシロクナ~イと言ったらこうです。


位置だけ指示してポーズはまるっきりおまかせ(放し飼いとも)


カワイイ系の写真が多いモデルさんにこんなポーズしてもらいました。エエナ~










毛量が多いというモデルさん、それを生かすべく髪が垂れる位置から撮影。


数枚のパーツ撮影、小細工したヤツは却下。ごく普通に。
爪を伸ばしているのは知っていたので、指先のない手袋をポチッとな。


お稲荷さんの幟は赤だと思っていたのですが青もあるのか・・・


桜に浮かれるモデルさんを演じてもらいました。

実は桜ではなくアーモンドの花なんだけどネ


右の建物は茶店。なぜか空いていたので1杯♪休憩♪


↑どちらが好みかモデル・カメラマンによってさまざま↓



この坂でいろいろ試したのですが どうもイマイチ・・・ 思い付きはアカン。


↓の1枚がなければ採用しなかったヤツ。



カワイイ系に仕上げてみましたあ。






殺してしまった女の身体に桜の花びらが積もる昔の小説のイメージが浮かんだのです。


爽やか系の仕上げではありますが、殺してしまった後悔の姿にしてみたかったのです。






ここでちょっとニヤッとすればさらに恐い1枚になるのに、シマッタ・・・




[ 脱線 ]                                 
参道入口鳥居の脇にある石柱「高津宮」


昭和26年に建てられ、書は宇垣一成のものだと。
モデルさんに自慢げに解説してしまいました・・・
宇垣は第2次大戦の最初、ハワイ侵攻作戦で
No2の参謀長を務めた軍人 と。 トホホ・・・   
チガイマス            
それは宇垣纏まとめ中将のほうです。
同じマチガイを昨年もしました・・・

宇垣一成 イッセイでもなければカズナリでもなく  
       カズシゲと読みます。           
       陸軍大将。幕末1868年~1956(昭和31)
       この碑は昭和26年に建てられたので  
       戦後に宇垣が揮毫したのでは?     
       では誰が依頼したのか、どういう関係か?
       敗戦後の戦犯裁判では米内や岡田啓介
       と並んで公職は追放されたが裁判からは
       除外されている。理由は「ファシズムに 
       抵抗した平和主義者」だそうだが、実は 
       抵抗したのではなく「ファシズムに受け入れ
       られなかった」という人物評。        

宇垣纏  マトメと読みます。              
      海軍中将。1890(明治23)~1945(昭和20)
      敗戦前日の14日に海軍司令長官小澤より
      積極攻撃の中止を命令されていたのに  
      当日の玉音放送の後、夕刻5時頃に基地に
      残された11機で沖縄特攻をめざし     
      戦死18名、生還5名。             
      この報を聞いて小澤は激怒したと。    

この2人は同郷だが親戚ではない。