[ 脱線 ]
参道入口鳥居の脇にある石柱「高津宮」
昭和26年に建てられ、書は宇垣一成のものだと。
モデルさんに自慢げに解説してしまいました・・・
宇垣は第2次大戦の最初、ハワイ侵攻作戦で
No2の参謀長を務めた軍人 と。 トホホ・・・
チガイマス
それは宇垣纏
まとめ中将のほうです。
連合艦隊長官山本五十六のもとで参謀長だったが
ハワイ作戦では結局カヤの外の置かれ仕事をしていない。
山本はこれからは飛行機が来るとの信念だったが
宇垣はあいかわらずの大艦巨砲主義のかたまり。
山本の死後、戦況悪化して海軍主流から外され
最後は第5艦隊(船はなく飛行機のみ)長官として
九州の鹿屋・宇佐にいて、特攻隊の出発を見送るのみ。
天皇の終戦放送を聞いていたにも関わらず
8月15日夕刻5時に基地に残る全機11機で宇垣は
特攻に飛び立った。
翌日、海軍司令長官小澤治三郎中将は
「皇軍の指揮統率は大命の代行であり
私情を以て一兵も動かしてはならない。
玉音放送で終戦の大命が下されたのち
兵を道連れにすることはもってのほかである。
自決して特攻将兵のあとを追うというのなら
一人でやるべきである」と述べ
宇垣達に対する感謝状は起案させなかった。
長々と宇垣纏のことを書いて宇垣一成を忘れた・・・
まあエーか、小者だし♪