北加賀屋
場所 :大阪市住之江区北加賀屋 
日時 :     2020年2月2日 
モデル:   Shadowlights AOI 

北加賀屋にはこれといった場所もなく、有名なレストランやケーキ屋があるわけでもないのですが
そこそこ撮影する人がいるのです。 「インスタ映え」する場所をワザワザ作っているから。
壁にスプレーで落書きするのではなく、画家やデザイナーが手掛けた外壁が多く
結構大規模な作品が目を見張ります。
今回は春節の終わり、それも新型ウイルス問題がだんだん大きくなる中でしたので
日曜にもかかわらず町や交通機関はマバラ。 中国人はどこへ行った?
おかげで気ままに屋外ロケ撮影できました。

モデルさんは、インスタ映えする背景で「カワイク」撮影してほしいとのこと。
私ゴノミの廃墟アパート撮影は封印しました。 その代りにオトナ撮影も混ぜましたが。


珍しくシャッターにペイントしたもの。店ではなく車庫のようです。


ペイントロゴの下部を雲に見立てて。






同じ作者の別の作品。意味ある単語にはなっていないのか。






↑は失敗  ↓で修正したのです。







とにかく明るいモデルさん、違う表情を出すべくいろいろガンバッてもらいました。



ガッチャマンを知っていたことに驚きです。






この緑の前でいろんなポーズをしてもらたのですが、結局一番シンプルな写真に落ち着きました。



状況説明になってイヤなのですが、まあこんな感じの場所・・・








モデルさんとの会話でダンスをしていることがわかり、バレーのポーズに挑戦。



大阪の湾岸はすべて埋立地ですが、江戸時代から埋立が進んでいたことは殆ど知られていません。モノズキだけです
河内(東大阪)に鴻池新田があるように、住吉にも加賀屋新田があります。
どちらも大和川付け替え工事と密接な関係があるのですが割愛。
なぜ加賀屋なのか?
江戸初期から天下の台所大阪には両替商が育っており、天王寺屋・鍵屋・鴻池屋など豪商がおり
加賀屋嘉右衛門は中規模クラスの両替商、富田林の生まれで加賀屋で働いていた奉公人甚兵衛が暖簾分けをしてもらって
独立して開いたのが加賀屋甚兵衛。 加賀屋嘉右衛門はその後闕所(財産没収)
鴻池が河内の新田開発で成功したのをみて、住吉での新田開発に着手して成功する話の裏がオモシロイのです。
加賀屋は大阪の中心淡路町に店があったのですが、住吉は遠くて甚兵衛は新田開発のため常駐することに。
ところが家業をまかせたはずの婿養子が「不行跡」を繰り返し、ついに離縁してしまいます。
(いったい何をしでかしたのか興味がわきます)
この婿が奉公人だったのか、同業商家の次男三男だったのかは不明です。
見る目がなかったのは甚兵衛か妻か娘かわかりませんが、出来の悪い婿を放逐する話は当たり前だし
能力のない息子には店を継がせないのもよくある話です。
角倉了以から正式に加賀屋新田の村名をもらい、名字帯刀を許され櫻井甚兵衛として代々引き継ぎます。
甚兵衛は加賀屋新田会所に住み、出家得度して加賀屋を婿養子に譲ってから亡くなります。
南加賀屋霊園には初代から六代目(明治28没)の墓が並ぶそうです。