今川
場所 :大阪市東住吉区 .
日時 : 2019年6月1日 .
モデル:     Yoko .
昭和の時代感のままの住宅を撮影スタジオとして、TV番組でロケに使われることもあるそうです。
もっと古い住宅(明治や幕末)で普通に遊んでいた私には、残念ながら昔懐かしいというほどではなく
むしろ、「ごく普通のおうち」がそんな風にもてはやされるようになったのか、という感想です。

何度か撮ったモデルさん、「盛らない、大きく見せない」のが良いそうですが
天邪鬼な私はワザと作った表情・シチュエーションを狙ってみました。バカですね〜
ドロドロした暗い思いを何とか画面に出したく、四苦八苦です。
暗い感情のシンボルとして、赤いダリア、それも花びらが捻れている。
別にストーリーを思い描いたわけではなく、スタジオ内の場所を移動するたび
照明をイジり、花の場所を変え、ポーズをいろいろ試行錯誤。
撮影後の現像処理は案外に淡々と進め、HPに載せる文章をヒネッている段階で
写真の順序を替えてみたり、余計な写真を抜いたり、あげくは現像をやり直したり
現像の時間よりはるかに長くかかってしまいます。
モデルさんによっては、お肌をスベスベに、なんて注文ついたことも♪

撮影3日前に思いついて切花を注文しました。赤い大きなダリア(良いのがなければ赤黒いバラ)
撮影の腕の悪さを小物でカバーする常套手段♪
なんか最近は小物に凝りすぎているかも。次は衣装やヘアセットに凝ってみようかしらん。



なかなか撮影を始められず、部屋のすみっこで花をどうしようか、悩んでいて
ひらめいたのです。単なる思いつき。花とその影だけでヤッツケてみよう。


なんとかなりそうな予感がしたので、モデルさんようやく登場です。




4つ並んだ花  真っ赤なダリア・真っ黒な影・赤黒いバラ・腹黒いモデルさん
最近の私の狙いは「悪女」なのです。




赤いダリアを外してみたのですが、まだまだ狙い通りにはいきません。


唇の微妙な角度で表情が変わるのです。 花を変え照明もちょいとヒネって。
服の青さをもう少し出せばよかったなあ。




ミケランジェロの彫刻ピエタを思い浮かべました。
十字架から下ろされた我が子キリストを抱く聖母マリア。





太陽は真上にありワザと逆光でモデルさんを真っ暗にしてみました。
カメラマンによってはこちら側から照明を足してふんわり明るく仕上げるかも。


足先の角度・足指の曲げ方 いろいろ変えたあげくにこうです。
足指を反らせて力を入れるのも試したのですが、逆に力を抜いて足先で何かを探るように。
ピントは足ではなく、光の透けるスカートの花柄に。
赤い花もあっちに行ったりこっちに来たり。


誰でも思いつくのが古タンスにもたれかかって足を投げ出すポーズですが
わざと避けました。女っぽいモデルさんが男の子にようにしたのです。


腕の見え方・足の隠しかた いろいろやったのですがまだ満足できていません。
赤い花はどちらか不要でした。顔は俯きかげんのほうが・・・
右腕はもっと良い角度があったはず・・・
タンスとモデルさんの間にもうちょっと隙間があったほうが・・・




この1枚は全体の流れから異質です。単独写真としてはアリですが、このページではナシです。


モデルさんに死体になってくれるようお願いしました。
そんな馬鹿な注文されたことがなく苦労してます。殺される痛み・苦しみが出ないのです。




ずいぶん死体らしさが出てきました。どんなだよ?


ダメな例。 単なる寝起きの顔です。


「死体のヨーコ その1」ここまで いつか続きを




照明を変えて夕方の光にしてみました。
モデルさんに「爽やか」と言ったはみたものの、違う方向でまとめることに。


白シャツ・赤いバラ・首を傾げたモデルさん  とくれば爽やか系のハズですが
ピントのずれた1枚を選択したのです。


強い夕日の陰ですが 半眼で画面が傾いているため不安定な印象になります。


せっかくの画面の傾きを首が殺してしまいました。


さらに光と陰を強くして目立つダリアに交換しました。


口を隠すことで視線の外れた眼がきわだち、強さよりも心の不安定さが印象づけられます。


前髪で顔の片方を隠し、視線を完全にカメラから外しました。
あと1mm唇が開いて歯が覗いて、何かしゃべり出す風にしてもよかったか。


狙いは同じですがもっとシンプルにしました。


ごく普通の撮影ならこうするかな? それでも爽やかさが足りないなあ。
「マリオネットのヨーコ」おしまい


脱線                                  .
今川町とか西今川といってもまったくピンとこない場所です。
(私には京都の祇園宮川町しか思いつきません)
駒川商店街といえばあああそこか、となります。
本業で航空写真や地図、さらには古い絵図を見ることがあり
さらに縄文時代どころかン百万年前まで遡ることもあります。
駒川・今川は単なる街の地名ではなく川の名前でした。
江戸中期の大和川開削で河内を南から北に流れていた川の多くは
埋め立てられ新田となりました。大和川によって途切れた今川は
大和川を挟んだ南側の堺市にその続きを見ることができます。
大和川ができたことで、中小河川や溜池がなくなっただけでなく
堺もこれが原因で没落していきます。平和が続き武器が不要になったのではなく
大和川から流れ出る土砂で港が浅くなり、貿易港として使えなくなったのです。
幕府としては堺商人の没落はもっけの幸いだったでしょう。