平城京址
1km四方の広大な野原です。桜の花見に多数来てもチラホラにしか見えません。
その中でも人の少ないエリアで撮影。
歴史ウンチクを書こうと思ったけれど、発掘調査のことをWikipediaでカジッたので
北浦定政が、自力で平城京の推定地を調査し、水田の畦や道路に街の痕跡が残ることを見つけ
1852年(嘉永5)『平城宮大內裏跡坪割之図』にまとめた。
1897年(明治30年)には地理学者の河田羆が中心となって編集された『沿革考証日本読史地図』
にも図が掲載された。
さらに関野貞は、大極殿の基壇を見つけ、平城宮の復元研究を深めて
その成果を『平城宮及大内裏考』として1907年(明治40年)に発表した。
棚田嘉十郎によって「奈良大極殿保存会」が設立され、1924年から平城宮の
発掘調査が行われた。
1959年以降は、奈良国立文化財研究所が発掘を継続しており
2004年現在では、約30%が発掘されている。
北浦定政は幕末の大和国古市の人で奉行所の役人。墓は古市の念仏寺にあり。
関野貞は明治から昭和初期にかけての建築史・美術史・考古学者
設計した建物:奈良県物産陳列所(現・奈良国立博物館仏教美術資料研究センター)
建物自体が重要文化財です
棚田嘉十郎は明治から大正にかけての植木職人・文化財保護運動家
棚田の銅像は朱雀門外の観光施設前庭にあり。