大阪をホジクル 42.百年前の大阪市北区

戦前の古い住宅地図を探していてヒマだなー 大正7年(1918)の詳細地図をゲットしました。
今から102年前の発行なので著作権は消滅しており、画像で紹介しましょう。
    発行年月日  大正7年3月5日
    著作権所有者 西部逓信局(郵便配達に使った?)
    印刷者    日下伊兵衛(昔の地図にはよく出てきます)
    販売所    和楽路屋(あのワラヂヤです)

大正7年とは?
    第1次世界大戦の終盤、日本はシベリア出兵
    コメ価格が暴騰、米騒動が拡大
    秋にはスペイン風邪が大流行
    大戦のため南米への欧州移民が減少、代りに日本人が
    初めて女性に運転免許
    森永ミルクチョコ発売
    松下電器(現パナソニック)創業
Wikipediaから当時の大阪市
    1898年(明治31) 大阪市庁が大阪府庁から独立
    1903年(明治36) ミナミで博覧会、通天閣完成、日本初の市電開業
    1909年(明治42) 北の大火(天満から福島にかけて焼失)
    1918年(大正7 ) 中央公会堂が完成(寄付した岩本は1916年に自殺)
    1920年(大正9 ) 六反池殺人事件
    1925年(大正14) 第2次市域拡張





中津から豊崎あたり
左下で淀川を渡るのは阪急電鉄(当時は箕面有馬電気鉄道)
その右に字宮之前と字宮ノ本があるのにその神社はありません。
淀川開削でなくなってしまったのです。



左で淀川を渡るのが東海道線
その西側の地名 字宮之ネキ [ネキ]はもう死語かも
右で淀川を渡るのが長柄橋
その下縁にあるループは市電の天神橋筋6丁目
右側の空白は長柄墓地



下縁の空白は大阪駅と貨物駅予定地
その東側に箕面有馬電鉄の建物と駅
大阪駅の北側には学校が集中



広大な空白は大阪監獄
天神橋筋の東側の空白は工場街
左上「墓」は南濱墓地



曽根崎新地を流れる蜆川はすでに埋立済
(出入橋から西はまだ残っている)
阪神電鉄はまだ地上を走る
大阪市役所は出入橋にありました
話題の梅田墓は表記なし



市内中央になるほど現在の碁盤目と大差ありません
中之島には大阪ホテルの名前が