大阪をホジクル 41.梅田貨物線
大阪駅の北側の空地で大規模な工事が続いて、JRの地下駅ができると年に2度くらい報道されます。
ですがさらに北側、中津から豊崎にかけては全くニュースには出てきません。
そこそこ大規模な鉄道工事してるんですがね。
赤枠を拡大 ↓
S字線が梅田貨物線(特急はるかも走っています)、交差する斜め線は地下鉄御堂筋線です。
線路はだいたい1~3mくらいの高さにあり、その下をガード(最も低いのは1.4m)でくぐっているわけです。
簡単な歴史をWikipediaから紹介。
1928年(昭和3年)12月1日:上淀川仮信号場 - 梅田駅間が開業
1934年(昭和9年) 6月1日:福島駅 - 梅田駅間が開業
同年 国鉄と阪急の上下切り替え工事(貨物線も新本線との取付工事あり)
1961年(昭和36年)4月6日:営業キロ設定(梅田駅を大阪駅との同一駅扱いをやめ、別線別駅扱いに変更)
今回ホジクルのはこの貨物線のガードです。
北側から
豊崎第6架道橋
中津町架道橋
能勢街道架道橋
中国街道架道橋
どの橋桁も古そうで、多分建設当時のものと思われます。
橋桁や陸橋などの名称は古い地名や由来を表していることが多く、この2つの街道名称など江戸時代から。
撤去されると、歴史を示すものも消えてなくなるわけです。(残せと叫んでいるわけでは・・・)
2014年の地蔵調査ではすでに能勢街道架道橋は大半撤去されていました。
その後工事は着々と進み、他の架道橋も含めて軌道はほとんど更地になって
その更地部分に新しい貨物線(南半分は完全地中化)ができて新線への切り替えがすめば
残った軌道敷は道路と緑地帯になる予定です。
大阪市のHPには次の説明図があります。(駅舎はJP工事・それ以外は大阪市工事)
この図から工事中の通行規制が激しくなると予想するのは難しいだろうなあ。陸の孤島みたいになるかも。
地中トンネル部は埋戻し完了まで横断不可能
U字断面部は陸橋で歩行者・自転車は通れるが自動車は東へ迂回することに
当然、あちこちの道路は一方通行に
JR西が土木学会誌に発表した工事計画では、おもしろい点がいくつか書いてあります。
・大阪駅西端の梅田西1番踏切(平面交差)は撤去
・中津の中国街道と能勢街道をまたぐ架道橋も撤去
・地下駅はできるだけ大阪駅に近づけるのでホームが曲線になってもしかたない
・福島駅側の浄正橋踏切は残す(本当は撤去したい)
・地下部の両端にある縦断勾配は異常に大きく、貨物列車では機関車を重連とせざるをえない
電車なら問題なく登れるが、機関車だと無理。
新駅地下ホームを重連機関車が走るなんてスゲーゾ。
中津から福島は撮り鉄のメッカになるかも♪
本題 橋桁はどこで製作されたのか?
2015年2月にたまたま見つけたブログ梅田の北っかわに次のような投稿をしました。
能勢街道にかかる橋桁に「 EET ENGLAND 」という文字を見つけ、その意味を調べておられました。
この鋼材はイギリスの Cargo Freet Ironworks Co. のH型鋼です。
この会社は ニューカッスルの近くのミドルズボローにあった製鉄会社で、明治初期1879
にCargo Fleetの名前になりました。国営化・吸収合併などのため戦後すぐに消えています。
イギリスの大型型鋼・ドイツのレールなどは戦後まもなくの頃まで輸入して使っていました。
まだ国内の生産設備ができておらず、鋼板・小型型鋼しか生産していなかったからです。
梅田貨物線は戦前昭和3年(1928)に開業したので、中津の架道橋はそのときに架設されたのでしょう。
(改造・補強もされています)
この年にはCargo Fleetは同業のSouth Durham Steel & Iron Co.の子会社になる(ブランドは存続)ので
この橋桁は最後の自社鋼材だったかも。
鋼材の圧延マークは能勢街道架道橋より東の豊崎町第6架道橋ではハッキリ読めます。
この桁の改造補強がいつごろだったか考えてみました。
ヒントは写真にある丸い頭のボルトです。これはリベットではなく、トルシア形高力ボルトと呼ぶタイプのもので
1980年(昭和55)頃には開発されていました。
なので改造はそれ以降、国鉄は保守的なのですこし後からでしょう。1985年とすると、設置後57年、約60年後の
補強というわけです。
軌道線形が変わったわけではないし、重い機関車も通らなくなったので、重大な補強というわけではありません。
推測はつきますが、専門的なので省略。
今回の撤去工事では複線として残していますが、どうせ梅田-福島間は単線なので、複線とした理由がよくわかりません。
何か将来への含みでしょうか。
豊崎第6架道橋で撮影した写真です。
CARGO FLEET ENGLAND と読めます。
これはイギリス中部(スコットランドに近い)にあった製鉄会社で
製鉄から製鋼・圧延までできる一貫工場でした。
1934年(昭和9)当時すでに英国内の製鉄会社は没落しつつあり整理統合の嵐の最中でした。
1953年(昭和28)には消滅します。
そんな状況でも輸入したのは、日本国内には大断面の型鋼を圧延できる能力がなかったからです。
実は私の本業で古い工場の耐震診断をしていた折、1921年(大正10)の建物はすべてアングル材(L形)で
組立られており、当時の圧延技術がしのばれます。
中津にある架道橋の主材はすべてCargo Fleetの鋼材を使っているのでしょう。
十分な強度があり、新材に交換する理由がないですから。
すべて撤去された今となってはもうわかりません。(どこかに保存・・・してるわけないか)
少なくとも能勢街道架道橋と豊崎第6架道橋の2つだけは英国製。
鋼材はイギリスから輸入して、どこの工場で製作したのでしょうか。
昭和9年ですから完成品で輸入するとは考えられないのです。
当時の一流企業に決まっていますが、大阪に工場があったはず。
片山鉄工 | 大阪市 | 1917年創業 |
汽車製造 | 大阪市 | 1923年 |
川田鉄工 | 富山県 | |
春本鉄工 | 大阪市 | 1921年創業 |
巴組鉄工所 | 東京都 | |
松尾橋梁 | 堺市 | 1925年創業 |
宮地鉄工 | 東京都 | |
横河橋梁 | 大阪市 | 1907年創業 |
う~ん、決定打がありません。可能性の高いのは 汽車製造・横河橋梁 なのですが。
中津で貨物線をまたぐ阪急線のトラス橋は汽車製造の製作だったような記憶が・・・
そこで大胆な推測(妄想とも言う) 大型橋梁なら汽車製造、それ以外は横河橋梁
という区分けで、中津の架道橋は横河橋梁が製作 と決めつけておこう。
梅田貨物線 の歴史を地図と航空写真で遡ってみます。
1985年(昭和50)梅田貨物駅が健在な頃
上下に走るのが新御堂筋、斜めに走るのが地下鉄御堂筋線、S字が梅田貨物線
1964年(昭和39)新御堂筋も地下鉄も工事中
高い建物がなくなりました。
1948年(昭和23)終戦直後で爆撃のため一面が焼け野原(中津は偶然に免れる)
地下鉄は用地買収と整地が終わっていたようです。地下鉄に沿って北側に道路があるのがわかります。
1947年(昭和22)米軍撮影の写真
画面が粗いので詳しくは読みとれません。
1928年(昭和3)公開されている中で最も古い航空写真
淀川べりの大工場は毛斯倫紡績の本社工場。(藤田まことが出てくる話題につながるが割愛)
貨物線の軌道敷はできていますが、線路はまだ敷設中のようです。
もちろん当時は機関車で走っていたので電柱や架線はありません。
この写真で線路をくぐるガード(架道橋)を見ていて気が付いたのです。
①中国街道架道橋 |
②能勢街道架道橋
③中津町架道橋 |
④ ??? |
⑤豊崎第6架道橋 |
⑥豊崎第4架道橋 |
この④番目が現在はないのです。貨物線の工事中だけ一時的にあったのか?
さらに妄想すると
斜めの道は、貨物線の計画を知ったズルイ奴が先行投資したのでは?
なにしろ右上に行っても何もないのですから。
1914年(大正3)梅田駅西1番踏切に至る斜めの道があります。
ズルイ奴の先行投資説は間違いです。では?
大正時代といえば、「大大阪」つまり大阪都市計画道路ではなかったか?
大阪市の外側をグルッとまわる環状道路の一部では?
1906年(明治39)ここにも大仁から下三番を通る斜めの道があります。
但し、下の地図と比べると正確さがずいぶん足りない。
1898年(明治31)近代的測量による地図
淀川の開削がされる以前、右下から左上に走るのが中国街道、北に上がるのが能勢街道
左下の大仁村からの斜め道は下三番村で途切れます。(農道でしょう)
つまり
貨物線に沿う斜め道は明治末から大正初期に建設され、昭和9年に貨物線で途切れてしまったのです。
貨物線の歴史というよりも道路の歴史をホジクッちゃいました。
Cargo Fleet Iron Co.
英国産業史の一大情報センターGrace's Guideより
1866 英国イングランド北部のMiddlesbroughで製鉄会社Swan, Coates and Coとして創業
1879 Cargo Fleet Iron Coに改称
1883 John George Swan(1839-1900)を社長として有限会社登録
さらにSwan Tradingを吸収
1900 Weardale Steel, Coal and Coke CoがCargo Fleetを買収、最新鋭設備を投資
1928 South Durham Steel and Iron Coの子会社となる
1951 製鉄法により国有化され、Iron and Steel Corporation の一部となる
1953 兄弟会社South Durham Steel and Iron Coとの組織再編の結果
Cargo Fleet Iron Coはなくなり、製品ブランドCargo Fleetのみ残った
1967 残ったSouth Durham Steelも他の製鉄会社と共に統合され国営British Steelとなる
14の主な製鉄会社が統合し、国内生産能力の90%を占める
とはいえ英国全体の生産能力は微々たるものです
2016 中国資本Greybull Capitalに買収
2018年の生産ランキングでは
1位 インド系のアルセロール・ミッタル 9642万t
2位 中国 宝武鋼鉄集団 6743万t
3位 日本 日本製鉄 4922万t
国別ではイギリスはエジプトの次で23位。 ベトナムは何と14位。 中国はダントツの1位。
Cargo Fleet の工場は解体撤去され、旧本社ビルだけが今もあります。
3階建のいかにも英国らしい外観ですが、現在はリノベーションされて貸し物件(250~20000m2を 9.5£/m2)
1969年の写真で工場は右に左にさらに川向うにも広がります。下端中央に本社ビルが見えます。
ネット検索で近くの橋を見つけました。(上の写真にも見えます) The Transporter Bridge
Cargo Fleet のすぐ上流。
1911年に完成した歴史的構造物で、しかも現役です。
人間なら200人、乗用車なら9台を1.5分で運べるそうです。
残念ながらというか当然というか、有料です。 70ペンス/人(約100円)
橋の上からバンジーできます。 75ポンド(約1万円) 交通費はようく考えてネ。
ロンドンから近くの空港(Teesside International Airport)までは毎日1便ありますって。
むしろアムステルダムからの国際便のほうが便利かも。
鉄道レール
ネットをあてもなく調査していると、イギリス製レールが駅舎の鉄骨として現存しているとの情報が。
とんでもなくマニアックな情報の山。 古レールのページ
鉄道オタクにはいろいろな方がいます。
実物を作りたくて車両メーカーに就職した方
廃線の軌道を歩いて調査する方
走行音だけでどの線のどこを走っているかわかる方
古レールの方はこれらを超越してます。実際に古い駅舎に行って鉄骨1本1本を詳しく見て
かすかに浮き出たマークや文字を読み取る。当然、駅員から不審者扱いされます。
HPの中にありました。 京阪電鉄石山線の4駅(中ノ庄・錦・島ノ関・近江神宮前)
本業の知識から、鉄道レールは錆びにくい・摩耗しにくいなどの特性のため
駅舎などによく再利用され、100年くらいではビクともしません。
世界の鉄道オタク
廃線マニアではなく廃駅マニア もいらっしゃいます。 スゲ~~~~
Disused Stations
英国内の廃駅をトコトン調査
Middlesbrough-Redcar線で左端がMiddlesbrough駅、その次がCargo Fleet駅、右端がRedcar駅
この線が営業開始したのは1846年(弘化3)皇女和宮が生まれた年です。
1915年の駅付近の地図。アイランドになった駅へは地下道で行く。
左下へ延びる支線の脇に本線横断路があります。その信号小屋Whitehouseは現役で今もあります。
1955年のCargo Fleet駅
2020年 赤丸はCargo Fleet本社ビル、青丸はCargo Fleet駅跡
駅はなくなったけれど、線路はまだ現役複線で使われています。(創業当時のレールとは思えないが)
梅田貨物線の地中化工事現況 2020/7/7現在
(土建屋の目で見てるので一般人には興味ないはず)
うめきた新駅から中津の真ん中あたりまで貨物線は地中化(ボックスカルバート)され
さらに新御堂筋まではU字擁壁になります。
工事の進捗に従って、鉄道線路があちこち移動します。
工事前は線路が6線あったのですが、北側2線だけになった状態が長く続きました。
南側に地中線ができると思っていたのですが
新線は北側に地中化されるので、軌道は一旦南側に仮線として通されます。←現状
ボックスカルバートの底は-10m以上なので(駅部分は-15~20mか)
予定線の両側に連続地中壁(H鋼入)を設けて土留め+止水とします。
背の高い杭打機のような重機があちこちにあったはず。
土建屋が気になるのは、阪急のガード下ではどう施工するのか?
想像ではH鋼なしの鉄筋コンクリート壁になるのかと思っていたのですが
意外にも同じ工法を採用してました。
但し、H鋼杭の途中に高力ボルト継手を設けてガード下でも施工できるようにしていました。
こんな手があったか
連続地中壁用掘削機は、キャタピラではなくレール上を車輪で走行する特殊タイプ。
機械の全高を確実に低くできます
掘削が一段落して黄色の掘削機が後退し、水色のクレーンで孔にH鋼を落とし込んでいます。
手前に見える杭列との間が地中線の範囲です。
ガード下だけ地面を下げているのは、杭投入クレーンの必要高のためでしょう。
左端のピンクの土嚢は掘り下げた法面の保護のためなのか掘削土の仮置きなのか。
掘り下げた範囲がよくわかります。手前側の地中壁は工事完了しています。
ガード下左側に踏み切り遮断機が見えます。貨物仮線が左側から右側に敷地を斜めに走るので
工事車両の線路横断用です。
ガード下部と露天部の切り替えはこうなっています。H鋼のサイズも間隔も違います。