大阪をホジクル 37.北向き地蔵 その6
清水谷の地蔵調査をしました。 大阪城の南側で、東に行くと玉造、西に行くと空堀。
結果は ゼロ。 地蔵さんはいませんでした。
調査面積 11万m2 ( 0.1km2 )
戦災で町は焼失し、復興というよりも新しい町ができた、というところでしょう。
住民どうしの付き合いはなく、地蔵の意味はなくなったのです。
これは調査済みの西区北堀江に似ています。新興住宅地に地蔵はありません。
仕方がないのでちょいと気になったモノを紹介します。
@街路樹
清水谷公園の東側でみつけた大木。真田丸の北にあたります。
植えたのはいつの頃なのか、100年くらい前か。
この写真ではわかりませんが左端の壁をGoogleで見ると
コンクリートの擁壁が坂道にそって続いています。道路と裏側とは大きな段差があるのです。
A
清水谷公園を見下ろすと段差がよくわかります。もちろん、大阪城の石垣ではありません。
公園の反対側から見上げると。随分な高さです。
B
「大阪酒販会館」右奥は「大阪府小売酒販組合」 景気のいい頃に建てたのでしょう。
B
左は大阪ガスが主導した「実験集合住宅NEXT21」
ずいぶん昔に実験住宅として建築雑誌に掲載されてたハズ。
右はクラシックな外観のマンションでしょうか?
C
集合住宅なのか1軒家なのか、店舗なのか事務所なのか 不明です。
その隣のビル。廃墟ではありません。樹木を植えまくっています。
D
清水谷高校グラウンドにあるザクロの木。 手の届く範囲には実がありません。
D
その足元には雑多な石が。 灯篭の傘石だったり石臼だったり。
グラウンドやフェンスの整備で出てきたのならこんな放置はしないでしょう。
道路の反対側の民家から出てきたとしてもヘンです。
一体どこから出てきたのか、誰がここに放置してるのか
D
D
↓↑南北の道路はこのように坂道になっています。
E
清水谷でたった1つ見つけたのは地蔵堂ではなく稲荷でした。
お話を伺うと、個人で祀っているとのこと。
清水谷の西には有名な空堀商店街があります。
その周辺には地蔵や稲荷がまだ多数残るそうです。(未調査)
上町筋を挟んで東西でどうしてこんなに違うのか? 調べてみました。
まずは、地形から。 「大阪高低差学会」より画像を拝借。
調査地の南縁は段差が大きいことがわかります。清水谷公園はその最大の場所です。
大阪城から天王寺まで南北に上町台地が伸び、その東西には当然坂があります。
東側のほうが谷が深く形成されていて、その1つが清水谷というわけです。
西側の段差は自然に形成されたものもあれば、人工的にできたものもあり
江戸時代からの商工業発展と深くかかわるのです。が割愛。
第2次大戦末期に大阪は米軍による爆撃によりほぼ焼失しました。
上の地図のピンクは焼失した区域、緑は残った区域を示します。
今回調査範囲は、もちろん焼失しており、空堀は偶然に免れたのです。
これまでの地蔵調査では
◎ 中津・中崎町・西天満
X 北堀江・清水谷
となり、戦災地図とピタリ符合します。
今後の調査は、ガッカリを避けるため焼け残った地域とすると、大阪市内の分布が公平でなくなります。
なので、いきあたりバッタリで調査続行〜〜〜