大阪をホジクル  26.大阪とフランスの関係

大阪弁とイタリア語のイントネーションが似ている という話をTVで見たことがありますが・・・
フランス語にはそんな響きはないです。(キッパリ)
郷土に異様なくらい誇りを持っているのは似ていますが、そんな話題ではありません。

フランス語の恩師阿部哲三先生の授業のことです。
          「番外 20.フランス語」で紹介しました。
紹介した2007年には先生は京都のノートルダム女子大と日仏学館で教えられていましたが、
2015年の学館講師リストには出ていません。
存命なら今年で87歳。

先生の授業は盛りだくさんの6本立てです。
   @前回授業の宿題の暗誦
   A前回宿題プリントの添削返却
   C今回授業のプリント
   D黒板への板書
   E独演会
サンテクチュペリSaint-Exuperyの文章からプリントを配ることが多かったのです。
それを話題に独演会が始まることも。
うろ覚えですがこんな噺です
その1)1回生の最初の授業で
   僕より後で教室に入ることは許さん!
   もし僕が5分以上遅れることがあったら死んだ時です!
   こんな宣言でフランス語の講義が始まりました。
   4回生の最後の授業まで先生は一度も遅刻することはありませんでした。
   僕? もちろん優等生です。成績はイマイチでしたが。

その2)腰に十手を差して
   授業は洋服で、腰に十手をよく差してました。
   その理由を説明されたことは覚えているのですが、内容はどうだったか・・・
   おい君! と授業中に十手で指名されると、ドキッとしたものです。
   あれだけは勘弁してほしいなあ。

   教官室には畳を敷き、壁には天狗の面と十手がありました。
   阿部先生またはアベチャンなら仕方ないか
   学生だけでなく職員もそう思っていたのです。

その3)読書
   秋の夜の読書にはフランス綴じの本がふさわしいんだよ。
          (フランスの原書には仮製本で3方を裁断せず折ったままで
           ペーパーナイフで切り開かないと読めないものが多いのです)
   シャーッとページを切る音だけが部屋に響くんだよ。
          (1冊全部を読み終わると製本士に自分向けに装丁してもらう
           そういう職業reliureがフランスにはあります)
   大学卒業後にペーパーナイフを集める趣味があったのは先生のせいです。

その4)サンテクチュペリ
   サンテクチュペリが初めての飛行ルートについて先輩操縦士に注意点を聞くと
   山中で不時着しなければならなくなった時、谷間に最適な草地がある
   その草地には1本の小川が横切り、蛇のようにお前を待ち構えている
   地図にもない細い小川が
小さな小さな事が実は命にかかわることがある、ディテールが実は本当に大事なのだ
そしてそれは他人に教えられるのではなく自分で知るしかない
と今では思うのです。
先生が本当に教えたかった事が何なのか、それは不明ですが
40年も経って先生のことを思い出すことでカンベンしてもらいましょう。

ディテールこそ大事 これこそが「大阪をホジクル」の精神なのです。大げさだなあ


記憶にある文章には 山の中・草地・小川・蛇・着陸 の単語が並びます。
さて、先生は一体どの本から引用したのか、原文はどうだったのか、気になりました。
Amazonで原書ペーパーバックを買ったのです。
     人間の大地 Terre des hommes
     南方郵便機 Courrier sud
ウ〜〜ン まだ見つけられませぬ。ひょっとしたら夜間飛行かも・・・
F5Bに乗る



サンテクチュペリは日本では「星の王子様」で有名ですが、欧米ではもっとスゴイのです。
Wikiでは 作家・詩人・哲学者・冒険飛行家 として紹介され
フランスのリヨンにある空港はSaint-Exupery国際空港という名前に変えられました。(リヨン生まれだから)
第2次大戦末期に偵察機を操縦していて撃墜され、その機体の一部が2004年に発見されました。
乗機はP38の偵察機型であるF5Bです。
   P38もF5Bも日本機相手には強いのですが、ドイツ機相手では難しかったようです。
   何しろ速度の優位がないのですから。
マニアは世界中にいて、その中の1人のHPはココです。


脱線その1
先生のことを調べていて建築家木村幸司氏のHPにたどり着きました。
   2007年秋のこの度の叙勲、身に余る光栄と思います。 と、ともに正直、戸惑っております。
   来春、八十路にさしかかろうとしている私は、省みて、今まで何をしてきたのか、
   なにか世間に役立つこと、人を倖せにすることなど、このような栄誉に値する生き方をしてきただろうか、
   内心、忸怩たるものがあります。
   成人してより今日までの六十年のあいだ、黒板と白墨(チョーク)だけで、フランスの国語を
   同胞に確かりと教え続けてきた、それだけであります。
   Enseigner, c'est apprendre deux fois. 「教えることは、二度習うことなり」 というフランスの諺があります。
   この箴言の道理を実感する私は、仏語教師として黒板を背にしながら、本当は、ずっとフランス語を
   習い続けてきたような気がしてなりません。
   いただいた勲章は慥かに煌いていますけれども、よく観れば、彩り光っているのは表面だけで裏は材質の金属のいろ一色。
   つまり、如何なる勲章・メダルもその光は反射光でしかありません。
   蝋燭の焔のようにそれ自体が光を放っているわけではない。光の源は其処にではなく他所に有る筈です。
   他所とはどこでしょうか。
   私の場合、その光源は黒板とその前に立つ私に注ぐ受講生の真剣な眼差しの光ではありますまいか。
   考えてみると、私の喜びの気持ちをいちばん最初に分かち合いたいのは、教室というささやかな空間を
   共有して偕に勉強した、あるいは、なおしている学生たちに他なりません。
         (中略)
   叙勲の機に一言、と同窓会よりすすめられ、吾れにもあらず独り言のような粗文を綴ることになってしまいました。
   一笑のうちに読み捨てていただければ倖甚と存じます。
                              (帝塚山学院同窓会会報より)


脱線その2
   上記のフランス諺の中に apprendre という単語があります。勉強するという意味ですが
   先生は3つの単語を並べて
       prendre   取る
       apprendre  学ぶ
       comprendre  理解する
   お分かりのように、知識は自分から取らないと理解したことにはならないヨ
       Compris?   わかった?
                (compris=comprendreの2人称活用形)


2017/5/1 追記
  本日、大学同窓会誌が届きました。
  物故会員欄に先生のお名前が
    母校名誉教授 阿部哲三殿 (享年89) 平成28年9月29日御逝去