申正月九日入牢 大阪橘町二丁目 木津屋吉兵衛 三十八歳 右吉兵衛儀、兄辰巳屋久左衛門死後、辰巳屋へ入込居候て、久左衛門同様に、可存旨、手代共へ 申渡致後見の由届出候節、稲垣淡路守並に家来共へ過分の音者致候、其上淡路守家来馬場 源四郎に便りて、公辺の事可承合為に、まいなゐ品々付物いたし、辰巳屋身上向を我儘に取 計ひ、手代の内六人無体に暇を出し、當久左衛門儀は、自分の了簡を以て出訴致候日より、座 敷牢へ入れ置、先久左衛門娘いわ義、実姪の事に候処、重病に懸居候を見捨、其身は為遊興上 京致し、いわ死後辰巳屋を綱次郎に相続致させ可申為に、いわ妹ぢうと綱次郎、盃事被致、先 久左衛門より所々貸付置候銀子百貫目以上の分は、當久左衛門と吉兵衛連名に証文仕替、 或は貸増いたし、吉兵衛又は綱次郎名前に改させ、且亦手代平兵衛に辰巳屋の銀子を以て、 家屋敷調くれ、其外夥多金銀自分の放埓に遣ひ捨て、諸道具買込み木津屋の商仕入家質 借銀内払等に引取り、時節を見合せ、當久左衛門に非難を付け、実父方へ相返し、辰巳屋の家 督可致押領と相巧候旨申し、重々不届至極に付遠島申付候、 |
申二月十五日揚り屋入 大阪町奉行 稲垣淡路守用人 馬場源四郎 右源四郎儀、木津屋吉兵衛と致心易同道茶屋等へ罷越、吉兵衛振舞にて遊興したし、吉兵衛 辰巳屋へ引越致後見候儀、淡路守へ申達呉候様相願候処、久左衛門弟の事に候得者、尤の由 及挨拶、彼是取持候て無滞相済候上、淡路守方へ差出候祝物品々、併家老用人共へ相贈候品、 何も過分に候分に候間、樽一品は留置、其余は差返候様、淡路守申付候故、外役人共は肴代等指返候 処、源四郎儀は、淡路守申付を不相用、其品々を不残留置、其上淡路守へ申聞、取成いたし、不目 立様、品々贈物致させ、且又倅吉三郎へ金拵の小脇差一腰、吉兵衛より遣し候を致受納、其外 自分湯治致候路金五拾両、吉兵衛へ無心を申、貰候儀共、奉行所に相勤ながら重々不届至極 に付、松平左近将監殿御指図により死罪申付候、 |
申三月十九日 大阪平右衛門町 具足屋次兵衛 五人組 近江屋十兵衛 同所山本町年寄 荒物屋七郎兵衛 右の者儀五人組支配の内、具足屋次兵衛、奈良屋源右衛門儀、辰巳屋先久し左衛門方より、家質 にて銀子借請居候処、久左衛門死後、借増いたし、吉兵衛並に綱次郎宛名前に証文を書替候 儀、得と不遂吟味巧成証文に役判致候段不埒に付、過料五貫文宛申付候、 |
遠島 | 入牢 | 大阪橘町二丁目 | 木津屋吉兵衛 |
死罪 | 揚屋 | 稲垣淡路守用人 | 馬場源四郎 |
入牢 | 辰巳屋久左衛門手代 | 與兵衛 平兵衛 | |
牢死 | 庄右衛門 | ||
五十日戸〆 | 預け重病に付不召出 | 中之島 | 大和屋惣左衛門 |
同 | 同 三郎右衛門 | ||
急度叱 | 同 | 手代 作兵衛 | |
同 | 室守 喜兵衛 | ||
無講 | 同 | 手代 仁兵衛 | |
同 | 喜兵衛 忠兵衛 九右衛門 庄助 | ||
無講 | 銀子は久左衛門方へ追々可相返候 | 同所南新町 | 大和如軒 |
於大阪五貫文宛過料 | 同所平右衛門町 | 十兵衛 | |
山本町 | 七郎兵衛 | ||
急度叱 | 同 | 同所吉野家町 | 年寄 喜右衛門 |
同 | 月行事 市郎兵衛 太郎兵衛 | ||
同 | 曽根崎村 | 高渡壽八郎 | |
無講 | 同 | 庄屋年寄 | |
辰巳屋親類 | 大阪内両替町 | 布屋卯之松 | |
同先久左衛門舅 | 大阪内平野町 | 森田藤衛門 | |
同親類 | 同一丁目 | 河内屋太郎右衛門 | |
同 | 同道修町一丁目 | 紙屋吉右衛門 | |
當久左衛門実父 | 泉州佐野 | 唐金屋與茂作 | |
大阪吉野屋町 | 辰巳屋久左衛門 | ||
久左衛門事構無く、家督の儀、彌相続致、元手代共呼戻し、家質名前等の儀、勝手次第改可申候、 | |||
入牢 | 木津屋吉兵衛手代 | 惣助 | |
同亀井町 | 橘屋久兵衛 | ||
此度の儀に付以後我儘不仕様可申付候 | 辰巳屋久左衛門手代 | 半兵衛 萬兵衛 喜兵衛 源兵衛 新六 惣兵衛 |
大阪橘町二丁目木津屋吉兵衛手代 惣助 元助 左助 其方共主人吉兵衛罪軽成候様に、深川八幡町知岩 神田永井町宇治川正順へ相頼候処、取持 可遣由相為候を誠と存、此度吉兵衛致持参候辰巳屋所持の金子を以て、公辺の役人まいな ゐとして、金子反物差遣、芝神明前、或新吉原町にて遊女野良抔を呼、振舞いたし候由、主人吉 兵衛牢舎致居候折柄に候得者、萬相慎可罷在候処、右振舞に事寄せ自分の遊興等を催し主 家の金銀猥に遣捨不法の事共不届の至に付重き追放申付候、 |
深川永代寺門前八幡町 久右衛門店 禅僧 知岩 其方儀木津屋吉兵衛料軽く成候様取持可遣旨相為、吉兵衛の手代共より過分の金銀を出 させ、重き役人の家来、或は此度吟味掛の役人の名を指、まいなゐに遣候由相為、金銀反物数 多かたり取、重々不届至極に付、町中引廻獄門に申付候、 |
大傳馬町二丁目家主 箔屋勘右衛門 其方儀木津屋吉兵衛手代共を知岩方へ同道致し引合、其上知岩頼に任せ吉兵衛方より辰 巳屋の金三拾両、近江屋喜兵衛と申宛名にて借遣候儀ども不埒に付、江戸払申付候、 |
神田永井町茂兵衛店 宇治川正順 其方儀木津屋吉兵衛手代宿預の儀相談申候に付、掛り役人の内に知人有之候間、承合可 遣由申聞、金弐百疋貰候故、与力共の名を書付見せ候て、掛りの役人振舞候由、手代共へ相為 聖天町喜八を以水野備前守組与力福島佐太夫へ申込、両度迄新吉原町にて振舞せ、佐太夫 を吉兵衛手代共へ引合、宿預の儀相頼遣、右両度共其方儀も遊興所へ出合、遊女を呼事相調、 吉兵衛宿預にも成候者、礼金過分取可申相巧候段、不届至極に付、死罪申付候、 |
浅草聖天町家主 喜八 其方儀宇治川正順申合、福島佐太夫方へ罷越、木津屋吉兵衛宿預の儀申聞、手代共致面談候 様に相頼、新吉原町にて振舞為致、其節間違候に付、翌日正順申合せ、吉兵衛手代共を佐太夫 方へ召連参、宿預の儀猶又相頼、又又新吉原にて振舞為致、右両度共●方儀も、其場に罷越願 之通に済候は礼金過分に取可申相巧候段、重々不届に付、重追放申付候、 |
本石町三丁目太右衛門店 喜兵衛 其方儀木津屋吉兵衛宿預の儀功者成者へ頼度由、吉兵衛手代共申に付、宇治川正順へ引合 新吉原町にて致振舞候節も致案内罷越、其上正順方より吟味に掛候与力其の名を書付、手 代共へ見せ候節も使致不届至極に付、江戸払申付候、 |
本石町三丁目家主 木津屋吉兵衛江戸宿 清兵衛 其方儀宇治川正順取持にて、役人を振舞候間参呉候様、吉兵衛の手代共申に付、同道にて遊 興所へ参り、手代惣助より請取候金子を以、右雑用為相払、彼是取持いたし、其上吉兵衛入牢 巳後、金子参百両手代共より預候節、早速可余出処、吟味の上、右の段及白状不届に付、江戸払 申付候、 |
水野備前守組与力 福島佐太夫 二十八歳 其方儀今吟味之処、町人喜八申旨に任せ、木津屋吉兵衛手代共へ新吉原町出合、右遊興所 の入用金一両一分、自身方へ請取入用に遣候由、総て御穿儀に相懸り候者は談事可相慎儀 勿論に候処、神文を背き右の條不届至極に付死罪申付候、 |
石河土佐守組与力 藤田清兵衛 平塚伊右衛門 右両人福島佐太夫一件に付永御暇 |
御本丸御厖従 小出相模守 右御役柄不相応の儀有之青山大膳亮へ御預 |
小出右近 右父相模守行跡不宜に付改易 |
御医師 丹羽正伯 右小普請入 |
永暇 加納遠江守用人 富樫弥助 無講 同目付 永井兵右衛門 右両人も辰巳屋掛合にて遠慮致居候上右の通相済 |
與兵衛 四十五歳 右與兵衛儀、傍輩仁兵衛並辰巳屋久左衛門親類共、吉兵衛を可致久離旨共々申合置、 拠儀共、吉兵衛へ偽り申聞候に付、吉兵衛此儀を忠節と存、家屋敷併商仕入銀等迄呉可申旨 致約束候処、其後吉兵衛気に違候故、又又裏返り、吉兵衛不埒の儀共を、佐々美濃守番所へ密 に訴出、又候此度吉兵衛呼下し候跡より慕い参道中にて侘言致し、非分の吉兵衛に荷抱致 吟味之節も不埒成書付差出、表裏至極、重々不届に付重追放申付候、 |
辰巳屋久左衛門手代 平兵衛重追放 |
大坂東町奉行 | 稲垣淡路守 | 閉門 |
西町奉行 | 佐々美濃守 | 逼塞 |
南町奉行所与力 | 福島佐太夫 | 死罪 |
御番医師 | 丹羽正伯 | 小普請入 |
北町奉行所与力石河土佐守組の与力 | 2名 | 御暇 |
将軍吉宗の側近加納遠江守の家来 | 1名 | 御暇 |
江戸町奉行所 | 小出相模守 | 切腹 |
禅僧 | 智岩 | 引廻し獄門 |
医師 | 宇田川正順 | 死罪 |
辰巳屋後見 | 吉兵衛 | 遠島 |
訴え出た辰巳屋手代6名 | 新六 ?? ?? ?? ?? ?? | |
浪人 | 島田作太夫 医師鵜野長順 |