大阪をホジクル
16.北向地蔵 その4(中崎町で実地調査) 2014/10/22
中崎町はここ数年でずいぶん変わりました。若い人が古い町家を借りて店にするようになったのです。
長屋の路地にそのような店が並び、カップルや外人が歩くようになるとは、誰も想像できなかったでしょう。
ケチをつけるとすれば、如何にも町家でございというコンセプトの店が並びすぎていることです。
もっとトンガッた若者の店を期待していたのですが、かなり残念。この町にはおとなしい若者が集まるのか?
今の中崎町がいっときの流行でなく、若者がずっと定着していけばよいのですが・・・
ともあれ、北堀江に比べてはるかに生活感のただよう楽しい町であります。
なぜ中崎町をとりあげたか?
実は、私の本籍はここだからです。住んだことはありませんが。
実際に住んでいた父も祖父も「中崎町」とは呼ばず「本庄」と言ってましたね。
中崎町には、ネット検索だけでも3ヶ所の地蔵が確認できますが、もっと多いはず。というわけで
緑丸が地蔵さん、青丸は気になったものを示しています。
いろいろなサイトで中崎町の店を紹介していますし、地図を公開していることもありますが店舗の入れ替わりは激しそうです。
見つけた地蔵堂は7つ。(南濱は除く)
調査エリアの面積は 0.258km2なので、1つ当たり 0.037km2 となり
単純に大阪市の面積 223km2 をかけると 6050箇所にもなってしまいます。
それだけ中崎町には地蔵が密集している(隣近所の関係が濃い)というわけです。
本来の調査の目的「北向地蔵は少ないか?」については
7箇所のうち3箇所が北向き、なので 42% になります。
@延命地蔵
南濱への道の脇の路地にある小さな祠で西向きです。左には白龍大神の社があります。
写真を撮っていると2歳くらいの子供が何とお参りするのです。若いお母さんは遠くから見ているだけ。
鈴を鳴らして何か言いながら手をあわせています。ジャマをすると悪いので、別の場所の撮影に向かいました。
戻ってくると、また同じようにお参りしているので、おかあさんにも聞こえるように
「お願いは1回だけだよ」
A地蔵
浮田町の公園脇に小さな祠があります。西向きです。
公園フェンスに掲げられているブサイクな看板、やけに多いです。
この看板だけで別項ができるほど・・・やりません
子供の成長を願う涎掛けがかかっていました。
B北向地蔵
路地に小さな堂があり、脇のロッカーに「北向地蔵尊」とあります。
3枚の座布団に小さな地蔵がいました。
C地蔵
ビルの狭間の電信柱に隠れるようにして地蔵堂があります。北向きです。
台座もかつては朱色だったのです。
D地蔵
路地の入口に小さな堂があります。南向き
近所のお堂に比べてすこし傷みがあります。でも花はちゃんと供えられていました。
E地蔵
住宅の壁を引っ込めてお堂があります。北向きです。
わざわざ壁を引っ込めるのは始めて見ました。
F地蔵
家に一部を引っ込めてお堂があります。南向きです。
この台座はコンクリート製のようで、卍の形にタイルを埋め込んであります。
--------------------------------------- 町で気になったものを紹介します -------------------------------------
@高層マンションと古家
新しいビルと古い町家、中崎町そのものが大阪でそういう立場にあります。
建築屋としては木造にツタを這わせるのは感心しません。
窓が開かないと廃屋に見えるだけでなく、建物そのものが傷むのですが、若者は知らないのでしょう。
奥の高層マンションは市立小学校の跡地に建っています。
亡くなった父は戦前に通っていたというのですが、近所だったのを記憶違いしていたかも。
A柿の木
路地の中の空き地の奥にカキの木を見つけました。
そのカキの木は白龍大神の路地奥にありました。
B外国人
路地を歩いていると台湾人カップルがカメラを持って散策中でした。
中崎町を歩くと必ず外国人を見かけます。いかにも外人観光客、話す言葉でようやくわかる外国人
大阪弁をしゃべる子供をつれた西洋人。
Cヨガ教室
ガラス戸に貼ったチラシがないと、とてもそんな風には見えません。
D町工場まちこうば
木工場がありました。前田クラフトと呼ぶそうです。
切れっぱしを使った小物を激安で売っています。
E昔の長屋
昔ながらの長屋はこんな風に入口に門がありました。決して時代劇セットではありません。
ワザとそんな風に見える画像処理をしてみました。
長屋に入って振り返るとかなたに高層ビルが見えます。
これは大家さんのお家でしょうか。
F長屋と路地
大阪弁では露路ロージといいます。
細いロージなのですが珍しく石が並べてあります。 そういえば梅田茶屋町には市電の敷石を並べたのがありました。
G肉屋
通りに面してコロッケを売っています。注文を聞いてから揚げるので少し時間がかかります。
今日の昼ごはんにしました。1個80円です。
H交差点
天神橋筋6丁目の交差点から西方向を見ました。
右の道は中津へ通じる旧阪神電鉄北大阪線の跡、左は梅田へ通じる市電の跡です。
かつて、ここ天神橋筋6丁目はターミナルだったのです。
豆知識 阪神電鉄北大阪線が廃止になって代わりに阪神バスが走っています。
市電の代わりに地下鉄御堂筋線があります。
I行岡病院
行岡病院は増築を繰り返し、古い建物も大事に残して使っています。
Jマンホール
その行岡病院の裏道に残るマンホール。中央には小さく大阪市のマークが。
そして周囲を花崗岩で花ビラのように囲んであります。
蓋の模様と市章の形などから製作年代がわかると思ったのですが・・・
もちろん、マンホール蓋マニアは多数おられます。ここ
K町家
3軒長屋(以前はもっと長いかも)で手前は3階建に改造し、真ん中は店を開き、奥の1軒だけは住宅のまま。
L酒屋
ごく普通の酒屋です。蔵元ではありません。
黄桜の自販機、残念ながら動いていません。僕は大関より好きなんです。それがどうした?
M黒崎明神
立派な明神社はきっとその隣の家が建てたのでしょう。
それに比べて右側は売地になっています。古い町を象徴している光景です。
黒崎明神は「黒崎町」にちなんだものでしょうが、青龍明神の謂れはわかりません。
N吉平稲荷
正面まで寄らないと稲荷とはわかりません。なぜその名前をつけたのか謂れがありそうです。
O作法教室
マンションに挟まれた狭い狭い、人間1人が通れる路地の真ん中に看板が見えます。
Pゆのし
若者には「洗張ゆのし」の意味がわからないでしょうね。
家内も洗張に出したことはありません。私が子供のころ、祖母が自分で洗張をしていました。
Qせんべい屋
おばあさんが店番してました。奥でおじいさんが休んでいます。
本日のせんべい焼きは終わったそうです。夏の間はアツウてカナンかったそうな。
値段は思っているより高いっす。 味は思っているよりウマかった。
2018/1/26 追記
年末に買いに行けなかったのでようやく本日ゲット。
おばあさんは留守で店番をしていたおじいさんに
ソラマメのせんべい3つと川海苔の1つ
おじいさんの返事は
海苔のはもうヤメてん。高うなりすぎたんや
以前の川海苔はキロ8000円やったのに今は2万円もするとか。
せんべい1枚に1グラム使うとそれだけで20円
元々の売値が10枚400円やから1枚40円。
5割も値上げしたら売れないなあ
というわけで、世の中から川海苔そのものが消えつつあります。
2023/12/25 追記
2年ぶり。店は健在。2人でテレビ見てました。
煎餅の種類が減っています。格子煎餅がないのです。
おばあさんは「金型が重いのでもうやめた」
おじいさんは86歳だとか、まあしかたないなあ。
買った卵煎餅とピーナツ煎餅は以前よりも硬くない。
客はトシヨリばかりだから、それもいいかな♪
R黒丸大明神
路地の正面に小さな祠があります。
珍しく鍵がかかっていました。
S浄方寺
何とも不思議な場所にあります。左は行き止まり。
21産院跡
大阪で最初の産院です。林蝶子と鴻池善右衛門の寄付で大正9年(1920)に開設と説明にあります。
22西向不動
2014年3月のストリートビューにはちゃんと西向不動があったのですが・・・
10月現在では駐車場に変わり、不動さんは西側の狭い場所に引越し、北向きになっていました。
そのため「西向不動」の石碑は撤去・・・
名前のない「只の不動さん」になっちゃいました。
おまけ1予定外の区域ですが、ついでに探検してきました。
南濱墓地
大阪七墓という古来からの墓地のなかでも一番古い墓地です。
その入口に地蔵堂があります。
2022/9/8追記
2018年の台風で傷み危険なため閉鎖されていたのですが
いつのまにか裏の小屋とあわせて撤去されていました。
表に建っていた石標だけが金網の中に。
地蔵さんはいったいどこに?
2023/12/26追記
地蔵さんは墓地の奥の金網フェンスの向こう側にありました。
「道引之地蔵」の由来が堂内にあるのですが、イマイチ納得できません。
なぜ道引なのかわからないのです。
表の石柱には「道引之地蔵」なのですがここでは「道引地蔵」となっています。
賽銭箱の上に見えるのは「首なし地蔵」ではありません。「唯の木魚」です。
ついでに南濱墓地も探検してみると、なかなかオモシロイ気色悪いと思う人もきっといますがので地蔵シリーズとは別項で紹介します。
おまけ2 病院
21で産院跡を紹介しました。
その50mほど北側に大阪韓国人会館の大きなビルがあります。
大正7年(1918)の地図を見るとちょうどその場所には「避病院」の文字が見えます。
避病院はその後に済生会病院となり、さらに中津(北野中学の跡地)に移転します。
済生会病院の歴史はナカナカ面白いのですが、中津病院の前庭にある記念碑に目をとめる人はまづいません。
いつか、気が向いたら紹介しましょう。