大阪をホジクル
14.北向地蔵 その2(中津で実地調査)

前回の寺町はマンションやビルが多くて選定を間違えたかも、という反省から「中津」を調査しました。
中津といっても地元でない人には一体どこなのかわからないので、まずはおさらい。

梅田から約1km 北ヤードの近所です。
中崎町と同様に(これもローカルだなあ)古い長屋が並んで、商店街もあります。
調査の結果はこうです。

高層マンションが次第に増殖してくる中、昔ながらの住宅街と商店街で、5ヵ所の地蔵がありました。(緑●で表示)


@長屋の隅に挟まれるようにして小さな堂があり、中には2体の地蔵さんが並んでいました。
なぜ2体なのか、どちらかが先に祀られたのか、それとも同時に祀られたのか。
ちょうどを向いています。


A中津商店街で聞くと、上記の地蔵さんは長屋のもので、こちらの地蔵さんが商店街のものだと。
小さな地蔵さんですが、ずっと明かりがついています。理由はともあれ向きでした。
さらに、親切に税務署裏にも1つあると。ああ、そこは先ほど行ってきました。
そう答えると、その地蔵堂は以前はもっと立派だったと。古い人と話をすると思わぬ内容が出てきます。


B裏道にあるマッサージ店の前に小さな祠があります。ここは西を向いています。


Cさらに細い路地(昔は下水だったかも)にそれはあります。


瓦葺の祠がさらに大きな屋根の下に納まっています。 この地蔵堂が大事にされていることがわかります。
この地蔵堂は向きです。




Dここが一番大きなお堂で、しかも石像も一番大きいのです。始めて向きの地蔵に会いました。
素朴な、素人が彫ったような地蔵で、横にもう1つ小さな地蔵があります。



E商店街の裏側の路地を歩くと、こんな風景に出会いました。畠です。
最近まであった長屋を取壊し、貸農園にしたのでしょう。台湾高雄の裏町を思い出しました。


Fすぐ隣の筋も取壊した空き地がありますが、その前に井戸を見つけました。もう使っていないのは明らか。


G何と裏筋で立派な町家がありました(前の柵はあとから付けたもの)。街道沿いでもなく、なぜここに?
並びの長屋と同じく住んではいません。いずれここも取壊されるのでしょう。


1948年(昭和23)に米軍が撮影した航空写真です。今回探索した範囲は戦災に会っていないことがわかります。
   上下に伸びる細い道は能勢街道で、現存します。それと十字に交差するのが西国街道、これも現存します。
   戦災で更地になった部分はほとんどがマンションが建ちました。この違いは明確です。
   Gの町家は航空写真では他と区別がつきません。Gが立派なのではなく、これが一般的だったのではないでしょうか。




H貨物線が能勢街道を越える橋梁が撤去工事中です。いずれ西国街道の分も撤去されるのでしょう。


調査面積300mx150m=0.045km2に地蔵堂が5ヵ所なので、0.009km2/ヶ所になります。
これを大阪市内223km2 に適用すると 24800ヶ所 トンデモない数字になります。
それだけ中津の地蔵さんは多いということです。
5つのうち2つが北向なので、4割になります。

実際に歩いた印象は「エッこんなところにも?!」です。