1.KOTAの華人街の思い出
98年のジャカルタ暴動で焼きうちにあうまでのKOTAはどこの国の中華街ともおなじようにワイ雑でナンデモありの町でした。ただひとつ違うのは中国語のカンバンがみあたらないことです。60年代の反共政策のため中国人・華人はシメだされ、中国語も公共の目にみえないようにされたためです。とはいえやはり華人は経済にはつよく、それが圧倒的多数のまずしいイスラム系住民の反感をかう理由の1つになっています。イスラムの町のなかでKOTAが中国系のふんいきをつよく残している点が旅行者である私にはミリョクな場所なのです。1年もジャカルタに駐在してまだいちどもKOTAに来たことがない同僚をつれて焼きギョーザをさがすことにしました。あちこちの店をウロツイたのですがけっきょく見つからず、焼ビーフンをビールで流し込むことにしました。ぬるいビールと氷がでてきたのですが、サスガにどんな水をこおらせてつくったのかわからないので、氷はかえして、ぬるいビールをゆっくり飲んだのを覚えています。そのとき、カスタネットをもった50才くらいのジジーがやってきてわけのわからない歌をサケビながらオドリだしました。どーせ金をセビルやつなので50RP(1円)をわたすとほかへ行ってしまいました。あとで聞くと50でも高く10RPでじゅうぶんとのこと、ホントに値段というのはワカランものです。
さらに同僚をつれて華人街の奥深さに出会うよう、巾2mくらいの横道にはいりこみ探検ゴッコをつづけます。せまい路地の両側にさまざまな屋台がならんで体を横にしてスリぬけていきます。テント屋根のついた店・工事用の青シートの店・台を置いてその上に品物をならべた店・リヤカーを止めただけの店(?)などさまざまです。サカナはタライの中で泳いでいるし、ニワトリはカゴから首を出しているし、新鮮なことは1番です。私はここでマッ赤にうれたランブータンを1束買いました。同僚はビビッテなにもできません。さらに奥へいくと屋台はとぎれ、中国/道教の寺があります。門の前には花屋と小鳥屋がならんでいます。私の実家は年季のはいったバリバリの仏教徒ですので、ピーンと来ましたが、同僚は小鳥屋の意味がわかりません。説明してあげたのですが、本当にワカッタかどうか。
クイズ:寺の前の小鳥屋はなぜ小鳥を売っているのか?
答え :次回に
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