以下はアンタラニュースの翻訳です。
ウブド王族で現ギャニャール県長Tjokorda Oka Artha Ardana Sukawatiの母である Anak Agung Niang Rai(78) が6月14日に入院先のデンパサールのサンラ病院で亡くなり、8月にその葬儀が決まりました。
喪主は4人姉弟の末っ子のTjokorda Gde Raka Sukawati (51)。
葬式には9層のバデ(高さ24m)の予定で、これは2008年のTjokorda Gde Agung Suyasa およびTjokorda Istri Muter のものより1m低い。
バデは Tjokorda Gde Raka Sukawatiがデザインし、ウブド近辺の14の村から50~100人が奉仕して製作しており、現在30%までできあがっている。
王宮から火葬場まで4500人以上の村人が運ぶことになる。
2008年の葬式ではウブド近辺のホテルはすべて満杯となり、見物の外人観光客は35万人に上った。
アンタラAntara newsはどうもイケマセン
①Gung Niang には4人の子供がいることになっている・・・3人のハズ
②35万人は延べ人数だと思います。いくらなんでも・・・
7月20日ごろでこれくらいできあがっているそうです。
以下は2007年11月に掲載されたThe Bali Timesニュースの抄訳です。記者がNiang Raiに古い話をきいた内容
王家の思い出 November 30, 2007
Anak Agung Niang Raiとの会話で、その子Tjokorda Raka Kerthyasaは良き通訳でした。
私は彼女が見たことをそのまま、できるだけ単純で真っ直ぐに、この3/4世紀にわたる彼女の生き方のように、記録したのでした。
Anak Agung Niang Rai(75)はSukawatiのNegara村の人で、ウブド王宮で育ちました。そのころは電気も水道もなかったのです。
水は女性がMumbulの泉(Mumbul Innの隣)から宮殿まで運ぶのです。
泉の水は聖水としてだけでなく飲み水などの日常にも使いました。
近くの森からは台所用の薪を取ってきたのです。
宮殿の用事をすませてから子供たちと遊んだりMumbul川に沐浴にいくのです。宗教的に大事な日には聖なるCampuhan川で沐浴します。
UbudからCampuhanにかけての場所は建物を建てることは避けていました。そして空き地にはライチの木を植えました。石ころ道にそっていろいろな果樹が並んだのです。
街路灯などなく、村人はタイマツSundih (干したヤシの葉を束ねたもの)を使いました。
故人が亡くなってからは明かりを絶やさないよう、Sundihを静かに打ち振るのです。
馬やバイクが輸送に使われるようになり、王宮では3台の自動車を持ちました。
UbudとDenpasar間のバスはSukawati村の中国人によって運営されました。
女性の織る布地は当時は非常に短いサロンで、現在のミニスカートくらいしかなく、上半身は裸でした。
トップレスの女性たちは宗教行事ではスカーフを巻いてビスチェのようにしていました。クバヤはまだ存在していませんでした。
日本占領期に、王族はMahatma Gandhiが行ったようにバリ島産の綿を糸につむぐことを覚えました。
できあがった糸は日本兵に取り上げられ、日本に送られました。
彼女は15歳でIda Tjokorda Gde Ngurahと結婚し、3人の子供をもうけました。
Tjokorda Istri Oka, Tjokorda istri Rai and Tjokorda Raka Kerthyasa
原文[She married Ida Tjokorda Gde Ngurah at the age of 15
and gave him three children: Tjokorda Istri Oka, Tjokorda istri Rai and Tjokorda Raka Kerthyasa.]
Anakは夫のために作った料理をよく覚えています。Ceramcamはアヒルのサテで野菜スープと一緒に食べるのです。
当時はバビグリンは宗教儀式か大きな宴会でしか出すことはなかったのです。
王族である夫は詩人・画家でもあり手品師でもありました。彼はバリの文学サークルでは有名で、Aji Pliyon (死後の魂が天国にまで旅をする)物語を書いたことで知られています。
バリ人なら誰でも1度はこの本を読んだことがあるはず。
Anakの夫はレゴンやトペンの舞踏を支援し宮殿で公演したのです。
夫Ida Tjokorda Gde Ngurahは1967年1月1日に亡くなり、遺体は王宮内のGedeに置かれ、1967年8月2日に火葬されました。
Anak Agung Niang Raiはバリ文化を代表するもの(単純な生き方・環境への畏敬・生の賛歌)を守る最後の守護者です。
BaliTimesでは
①Tjokorda Gde Ngurahと結婚したとあるが、王族の長男の名前はNgurah
(平民ならWayanですね)
従ってこのNgurahはTjokorda Gde Agung Sukawatiを指す。
②子供が3人で、その名前は
Tjokorda Istri Oka 女性の名前ですがPitaMahaニュースでは男性Tjokorda Gde Putra Sukawati
Tjokorda istri Rai 女性の名前ですがPitaMahaニュースでは男性Tjokorda Gde Oka AA Sukawati
Tjokorda Raka Kerthyasa
どうもBaliTimesの内容はアヤシゲです。
2011/8/19
火葬が終わってJakarta Postのニュースの片隅にこんなのがありました。
「高僧Pedandaの祈りが続く中、儀式は進行する。Pedandaの名はGde Ngenjung、Karangasemの Dudaの僧。
バデの最上層にはNiang Raiの孫Tjokorda Bagus Santakaが座り、ルンブの背中には孫Tjokorda Agung Iciro Sukawatiが座る。」
Dudaはシドゥメンの近く、Seratの三叉路のあたり。Gde Ngenjung dari Dudaはブサキ寺での祈りに参加するくらいの高僧。
IciroはIchiroの間違い。イチロは県長Tjokorda Gede Oka Artha Ardana Sukawatiの息子。
2011/8/20 追記
ウブド王宮の経営するピタマハ・リゾートのHPに紹介がありました。Pita Maha
Pelebon Ceremony ANAK AGUNG NIANG RAI
2011年8月18日にウブドAgung王宮のAnak Agung Niang Raiの火葬式が行われます。
彼女は1931年から78年まで penglingsir (王族の長)であった故Tjokorda Gde Agung Sukawati (1910-1978)の妻です。
原文[On Thursday, the 18th of August 2011, will be held the Pelebon ceremony
of Anak Agung Niang Rai of Puri Agung Ubud. She is the wife of Tjokorda
Gde Agung Sukawati (1910-1978), penglingsir (head of royal family) of
Puri Agung Ubud since 1931 until 1978 and widely known as "the King of Ubud".]
Anak Agung Niang Raiには3人の息子 Tjokorda Gde Putra Sukawati (Tjok Putra)
Tjokorda Gde Oka AA Sukawati (Tjok Ace) and Tjokorda Gde Raka Sukawati (Tjok De)
と5人の孫がいます。
Anak Agung Niang Raiは1930年頃に KlungkungのBungbungan村で生まれ1955年にTjokorda Gde Agung Sukawatiと結婚したのです。
BungbungangはKlungkungからSidemenへの中間にあります
Anak Agung Niang Raiはそれ以来Puri Agungに住み夫とともにコミュニティに奉仕してきました。
Tjokorda Agungはウブドの歴史を語る上で最も重要な人物の1人で、彼のおかげでウブドはバリ島の芸術・文化の中心として発展したのです。
Anak Agung Niang Raiは2011年5月14日80歳で亡くなりました。(バリ暦でその日はSaniscara Paing Wuku Ukir)
遺体はPuri Agungに安置され、火葬式は8月18日(Wraspati Pon Wuku Krulut)に決まりました。
PelebonあるいはNgabenとして知られる火葬式はバリヒンドゥの伝統的宗教儀式として有名です。
この儀式は故Anak Agung Niang Raiに対する家族とコミュニティからの尊敬の現われであります。
Pelebonは人間の体(Bhuana Alitミクロ宇宙)の中にあるPanca Maha Butha (生命を形作る宇宙の五大要素)を浄化し、Bhuana Agung(マクロ宇宙)に戻す儀式です。
人体にあるPanca Maha Buthaの五大要素とは
- Pertiwi (土・固いもの): 肉・骨・歯など 地
- Apah (水): 血・涙・唾・鼻汁など 水
- Teja (光): オーラ・目の光など 火
- Bayu (空気・風): 息・エネルギーなど 風
- Akasa (空間): 精気など抽象的な要素 空
遺体はPuri Agungを12:30に出発し、9層のバデによって運ばれ、7.5mのルンブを従い、900m離れたプリアタンのDalem Puriに到着して火葬されます。
火葬式は5:00頃に終了する予定です。