144.王様の葬式
もう4年前になりますが2004年にウブド王族(王制最後の王女 Tjokorda Istri Muter)の盛大な葬儀を目の当たりにしました。話には聞いていたのですが実際にそのスゴサを眼にできるとは思ってもいませんでした。
観光案内APAのHPで、3月28日に亡くなられた王様Tjokorda Agung Suyasa(67歳)の葬儀を知りました。
葬儀の正式な日程はまだ決まっていないですが、7月15日頃との情報です。
7月13日、9:00時からチャンプアン川にパレード(聖水を取る)
15:00時にプリアタン宮殿からNAGA BANDAをパレードで迎えに行って
ウブド宮殿まで戻ります。
7月14日、15:00時から、またTJAMPUHAN川にパレード
7月15日、葬式(時間は不明だが昼ごろ)
今年の滞在はその前日14日からなのでモノズキな僕にはピッタリで、今からワクワクです。
王族の葬儀はめったにないのでチャンスがあれば見てはどうでしょうか
ウブド王族についてちょっと調べてみました。
以下は2004年に亡くなった王族Tjokorda Istri Muterについてです。
(Klub KokosのHPより)
長い文章ですが王族の葬儀とはどういうものか理解の助けになればいいのですが。
2004年5月6日にTjokorda Istri Muterは亡くなった。95才の誕生日の前日だった。
Tjokorda Istri Muterの遺族は2人の子供・8人の孫・16人の曾孫である。
彼女はウブド王Tjokorda Gde Sukawatiの11人の子供で最後に亡くなった子供になる。
1910年1月21日に双子の兄妹(兄はTjokorda Gde Agung Sukawati)として生まれ、父王が1978年に亡くなったとき、Tjok Agungが王宮の長となった。
妹であるTjokorda Istri Muterは王宮西翼のTjokorda Gde Ngurahと結婚した。
Tjokorda Istri Muterが亡くなると王族に知らせが広まった。
ちょうどその時期はウブドの主な寺院儀式がたくさんあるので、遺体は王宮の彼女の寝室に安置され死亡が公式発表されるまではそこで"眠っている"ことに決められた。
公式発表されるとウブドは喪に服すことになりすくなくとも火葬3日後までは他の儀式はできなくなるからである。
従い、Tjokorda Istri Muterの寝室で数百人の家族・友人が交代しながら24時間起きていることとなった。
バリカレンダーから火葬に適した日は7月24日と決められた。
王宮東翼のIbu Henny Sudharsanaも同時に火葬されることになった。彼女は昨年12月に火葬されたTjokorda Gde Oka Sudharsanaの妻で、今年3月に亡くなった。今回の火葬では遺体をかたどった人形が用いられる。
また同時に集団火葬(Ngaben Massal) も行われ、ウブド地域の5村で過去4年間に亡くなった 52人である。
その準備は宮殿の西外側の道路で行われる。
Tjokorda Istri Muterの死亡の公式発表と火葬準備開始は7月始めにあった。
宮殿王族の長が集まり火葬の複雑な日程について話し合いをした。
質素な儀式にしても火葬準備には膨大な作業が必要となる。 Tjokorda Istri Muterがウブド王家直系なので低いカーストでの儀式に比べてはるかに大規模となる。
最初にするべきことはウブド地域の村長を集めて葬儀準備協力の日程を話し合うことであった。
それから毎日数百人の村人が宮殿での膨大な準備作業や集団火葬の手伝いにも来た。
1910年に王家に双子が生まれたとき、ウブドの村は神から祝福されたものと考え、最初の沐浴として田んぼの水をふるかけたのである。
今Tjokorda Istri Muterの火葬の手伝いをすることは
彼女に対する恩義に答えることだと村人は考えている。
またTjok Muterの息子Tjokorda Gde Agung Suyasaは20年以上にわたってウブドだけでなくバリやその外に対して立派に義務を果たしてきたので多くの村からも手助けの申し出が続出した。
女性は儀式に用いられる山のような供え物の準備を行い、男性は儀式の台座の建設やお供え用の料理をした。
観光客にとって興味深いのはルンブ(牛)の製作であろう。これはTjokorda Istri Muterの遺体とIbu Henny Sudharsanaの人形を火葬時に納めるものである。
巨大なバデ(塔)は2人を宮殿から火葬場まで運ぶのに使われる。
Tjokorda Istri MuterはTjok Agung王の双子の娘であったから1979年の王の葬儀と同じ規模となる。また火葬場への隊列をnaga banda (龍)が率いる。これは王族の葬儀でも珍しい。
ルンブ・バデ・ナーガは宮殿の外庭だけでなく外側の道路でも作られる。
バデがあまりにも高いので葬儀の数日前から道路上で製作される。
葬儀は7月24日に宮殿を出発して東の火葬場に向かう。
火葬の数日前から死者の魂がこの世から離れる準備のための儀式がいろいろ行われる。
7月16日は Mesiram (沐浴)の儀式で遺体と人形が花の香りの水で沐浴され、供え物がささげられpedanda (高位の僧)が清める。
バリ中の王族や友人が葬儀に立ち会うように招待される。
火葬の数日前から数千もの人が宮殿を訪れる。前日23日には2人のpedandaが火葬準備に立ち会う。
火葬の前の3日間には2つの行列儀式がある。1つはプリアタンから宮殿までナーガを持ち帰るもので、プリアタンで特別な祈りの儀式をうけていたものである。もう1つはチャンプアンから宮殿までの行列で、最後の清めのための聖水を持ち帰るものである。
宮殿の壁の中では家族や王族・友人のプライベートな儀式が行われるが、一旦葬列が宮殿の外に出ると儀式は公的なものとなりウブドすべてがTjokorda Istri MuterとIbu Hennyと他の52人の魂がこの世を離れる手助けをすることになる。
24日の観光客もまた葬列に並んだりバリで最大の儀式に立ち会うことができる。この大きな儀式の日の経験をいつまでも忘れないで下さい。
火葬の12日後、8月5日には火葬された人の魂の旅にとって重要な儀式がある。
Maligia Punggalの儀式が宮殿西側の道路で行われ、この世を離れた魂がより純化され、宮殿内のmerajan (家族寺院)に設けられた場所を自分の家として見出すのである。
以下は昨年亡くなった王族Tjokorda Istri Putra Asmariについてです。
(王族経営のホテルPita MahaのHPより)
28日に亡くなったSuyasaの姉にあたります。
亡くなった方は違うのに文章はほとんど同じ書き方です。これは作者が同一なのではと思います。
王族Tjokorda Istri Putra Asmariの葬儀(Puri Agung Ubud 2007年9月7日にて)
2007年8月20日 Tjokorda Istri Putra Asmariが76歳でデンパサールの病院で亡くなった。
遺族は 弟Tjokorda Gde Agung Suyasa, 異母兄弟Tjokorda Raka Kerthyasa, 2人の異母姉妹Tjokorda Istri Oka & Tjokorda Istri Rai, 2人の子供Tjokorda Gde Budi Suryawan & Tjokorda Istri Sri Candrawati, それぞれの配偶者と5人の孫である。
Tjokorda Istri Putra Asmari は Puri Saren Kauh(宮殿の西翼)のTjokorda Gde NgurahとTjokorda Istri Muterの最初の子として1931年に生まれた。
50年代の初めに宮殿東翼Puri Saren Kangin出身のTjokorda Gde Putu Sudharsanaと結婚した。
高校卒業してからTjokorda Istri Putra Asmariはギャニャール教育大学に入った。1949年から定年退職の1990年までウブド第1小学校で教職をとった。
1975年に夫をなくすとworking motherでいることは彼女にとってずっと重要なこととなった。
2人の子供が高等教育を受けることを望んでいたため、より一層仕事に励んだ。異母兄弟の援助なしに家族や村の活動もこなした。
Tjokorda Istri Putra Asmariの亡くなった時、ただちに王族の間に知らせが広まった。
その時期にはウブド全域で多数の寺院儀式があるので、彼女の遺体は宮殿東翼の特別な寝室に安置されることが決められた。彼女の死亡が公式発表されるまでそこで"眠る"ためである。
発表がなされると王族は喪に服すので他の儀式に出席できないからである。
バリカレンダーから葬儀に適した日は9月7日と決められた。 Tjokorda Istri Putra Asmariの死亡の公式発表は葬儀の準備期間を考慮して 8月23日までとなった。
王宮内の多くの家族長が集まり王族葬儀の複雑な準備日程を打ち合わせた。
質素にしても王族の葬儀準備には膨大な労力が必要である。
真っ先にするべきことは、ウブド地域のすべての村長を呼び集め、葬儀準備の協力と日程を協議することであった。
5つの村が今回の葬儀に関係する。 Ubud Kelod (南ウブド), Ubud Tengah (中央ウブド), Ubud Kaja (北ウブド),Sambahan(サンバハン)および Taman Kelod (南タマン)である。
それから毎日王族と村のの関係者は王宮東翼に集まり葬儀準備を行うことになった。
女性は儀式に必要な供え物の準備を手助けし、男性は仮設の台座を建てたり供え物の一部となる料理を作るのである。
Tjokorda Istri Putra Asmariと一緒に葬られる王族がいる。
王宮東翼の出身のTjokorda Bagus Sudharsanaである。彼は先代Tjokorda Gde Oka Sudharsanaの第5子で Tjok Putra Sudharsanaの兄, Tjokorda Istri Putra Asmariの夫である。
Tjok Bagusは2005年5月に45歳で亡くなっている。
観光客にとって興味深いものにバデ(高い塔)とルンブ(牛)がある。バデは遺体を宮殿から火葬場へ運ぶもので、ルンブは遺体を納めて火葬する。
ルンブはウブドの外で製作され葬儀まじかになって宮殿に運ばれる。バデは宮殿の外庭と宮殿外側で製作される。
葬儀は宮殿角の北側から始まり東へ1km移動する。
火葬の前に多くの儀式が行われ魂がこの世から離れる準備をする。
8月27日にチャンプアンのベジ(聖なる泉)から聖水を汲むことから儀式は始まる。
その午後にムシラム(沐浴)の儀式がある。遺体は花の香りをつけた水で沐浴され、供え物をささげられ、プナンダ(高位の僧侶)によって清められる。
バリのほかの王族や親族の友人が招かれ儀礼に立ち会う。火葬の前の数日にわたって多くの人が宮殿東翼を訪れる。
9月7日の13時頃からTjokorda Istri Putra Asmariの遺体とTjok Bagusの人形は特別に作られたバデに乗って火葬場に向かう。バデだけでなくルンブと多数の供え物も隊列に加わる。
葬儀の4日後の9月11日、Tjokorda Istri Putra Asmariの魂の旅にとって重要な儀式Ngasti が東翼で行われる。
さらに翌日はNyegara Gunungの儀式が行われる。 これは海と山への魂の巡礼(Goa LawahとBesakih)を行うのである。
これらの儀式で魂はより純粋になりムラジャン(家庭内寺院)の中に設けられた彼女の住処を見つけることができる。